たき
新潟県柏崎市西山町別山字多岐ノ脇5362

式内社 越後國三嶋郡 多岐神社
旧村社

高靇神,合産五神
合殿 伊邪那岐命,伊邪那美命,譽田別命


石地駅の北東、116号線の東にあり、鳥居が見えるが、
鳥居へ向かう道は、116号線の下のトンネルを通るため、
少し南の交差点で西へ曲がり、迂回して東へ向かう。

昔は、高家明神とも一宮とも呼ばれた。

國史体系本には、「多岐神社」に関して、
「多岐、武本・京本・貞本多多に作る。
九条本・蠹蝕見えず、案ずるに和名抄に多岐郷あり、
磐船郡亦多岐神社あり、兵部式多太驛あり、
未だいずれが是なるかを知らず」とある。
写本によって、多岐神社、多多神社などがあるようだ。

参道には、由緒書きの石碑や式内の社号標もあり、氏子の方の熱意を感じる。


由緒
往古大国主命八世 の孫稲田多彦命こ の地方開拓に当り 高靇神を奉斎し郷 土興隆を祈りしと 謂う天和三年五月 社領六石三斗五升七合附与延喜式内社なり

−参道石碑より−


本社の所在は、往古三島郡多岐郷野崎保田木村 と稱し、刈羽郡に属し、村名を別山村と改めたといふ。別 山の名は、寶暦二年(一七五二)社記に、「當社ハ神明記ニ 三嶋郡多々神社ニテ、古ハ三嶋郡多岐ノ郷ノ親村ト申、今 社地ヲ去ルコト三丁バカリ、南ノ田中ニ神輿御幸ノ山ア リ、往昔明神影向ノ地ナリ、是ヲ別山ト號ス、依之村名ヲ 別山ト申ストカヤ」とあり、また社より寅(東北東)の方に 崗蛟澤(オカバミサワ)という深渓あり、これすなわち明神 の舊跡と傳へ、今、悪田川(別山川)の水源で、瀧川といひ、 「多岐ノ郷」「多岐ノ下」とも稱す、とある。
 縁起の初に「一に高家明神」とも稱し、一宮ともよんだ。 (明治十六年明細帳)『北越風土記節解』は、「多々神社、 在高家郷神、大國主命八世孫苗、田々比子命、延暦十二 年勧請、高家大明神トモ稱」といふが、『特撰神名蝶』は、 これを否定して、「多岐と高家は固より別なれば、高家郷 にあるべき由なし」とする。

−『式内社調査報告』−