|
式内社 越後國三嶋郡 三嶋神社
御祭神 |
柏崎駅の南、353号線宮場あたりから鵜川を越える道路そば。
社前の道路は、手持ちの地図と違い広く新しくなっていた。
西へ行けば鵜川があり、鵜川神社がある。
二面を道路に面し、市街地近くにあるが、逆に寂しげな雰囲気を感じる。
伊予一宮三嶋神社の勧請という。
『越後野史』には、長岡市大積三島谷町が本来の鎮座地だとある。
当社の北東20Kmの山中になる。
元禄年間に、高田藩主稲葉正通が、遠祖越智氏の祖神が
三島大明神であることから、当地へ移したという。
参拝中、無人であったが、神職らしき人が車でやって来て、
拝殿内で祈祷をはじめられた。
鈴を鳴らしながら、歩き回っている感じで、珍しい。
本殿は、覆殿らしきものでよく見えなかった。
本殿裏に、御霊社があり、当社を移した稲葉氏の祖霊を祀る。
|
延喜式内社
三島神社の由緒 祭神 大山祇命 当社は 奈良時代の天平十三年 七四一年 愛媛県越智郡の三島大明神 現在の大三島の大山祇神社 の別幣帛を勧請したに淵源し 延喜式 九二七年撰上 に三島神社と記録されている 往古 刈羽郡は三島郡と呼称したが その郷社として 郡民 権門 武将らに篤く 崇敬されてきた 明治六年 県社となり 戦後の変遷を経て 今に栄える 敬白 −境内石碑より− 社伝によれば、伊予国越智郡一宮の三島大明神の分霊を祭った社であり、天平13年(741) の創建と伝えられている。祭神は大山津見命である。「延喜式神名帳」(927)には、三島郡六 座の一つとして登載されており、式内社(「延喜式神名帳」に記載ある神社」であるとする説が有力で ある。 室町時代には宇佐美氏、その後長尾為景、上杉景勝、堀秀治及び高田歴代藩主の崇敬保護 を受けたとされ、このことは同社にある堀直政の田地寄進状(1658)等の古文書からもうか がい知ることができる。 明治6年(1873)に県社となるが、その後の火災や台風によってそのころの面影を失って いる。現在の社殿は昭和6年(1931)の再建である。 −境内案内より− |