みしま
新潟県柏崎市剣野町2−18

式内社 越後國三嶋郡 三嶋神社
旧県社郷社

御祭神
大山祇命 相殿 大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇) 吉備津彦命

三嶋縣主等祖 玉神玉命 『神祇志料』
三島宿禰 『越後野史』

柏崎駅の南、353号線宮場あたりから鵜川を越える道路そば。
社前の道路は、手持ちの地図と違い広く新しくなっていた。
西へ行けば鵜川があり、鵜川神社がある。
二面を道路に面し、市街地近くにあるが、逆に寂しげな雰囲気を感じる。

伊予一宮三嶋神社の勧請という。
『越後野史』には、長岡市大積三島谷町が本来の鎮座地だとある。
当社の北東20Kmの山中になる。
元禄年間に、高田藩主稲葉正通が、遠祖越智氏の祖神が
三島大明神であることから、当地へ移したという。

参拝中、無人であったが、神職らしき人が車でやって来て、
拝殿内で祈祷をはじめられた。
鈴を鳴らしながら、歩き回っている感じで、珍しい。

本殿は、覆殿らしきものでよく見えなかった。
本殿裏に、御霊社があり、当社を移した稲葉氏の祖霊を祀る。

延喜式内社  三島神社の由緒
 祭神 大山祇命
 当社は 奈良時代の天平十三年 七四一年 愛媛県越智郡の三島大明神  現在の大三島の大山祇神社 の別幣帛を勧請したに淵源し 延喜式 九二七年撰上  に三島神社と記録されている
 往古 刈羽郡は三島郡と呼称したが その郷社として 郡民 権門 武将らに篤く 崇敬されてきた 明治六年 県社となり 戦後の変遷を経て 今に栄える 敬白

−境内石碑より−


 社伝によれば、伊予国越智郡一宮の三島大明神の分霊を祭った社であり、天平13年(741) の創建と伝えられている。祭神は大山津見命である。「延喜式神名帳」(927)には、三島郡六 座の一つとして登載されており、式内社(「延喜式神名帳」に記載ある神社」であるとする説が有力で ある。
 室町時代には宇佐美氏、その後長尾為景、上杉景勝、堀秀治及び高田歴代藩主の崇敬保護 を受けたとされ、このことは同社にある堀直政の田地寄進状(1658)等の古文書からもうか がい知ることができる。
 明治6年(1873)に県社となるが、その後の火災や台風によってそのころの面影を失って いる。現在の社殿は昭和6年(1931)の再建である。

−境内案内より−