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式内社 信濃國佐久郡 大伴神社 旧村社 御祭神 天忍日命(大伴氏祖神) 天道根命 月読命 合祀 御嶽社 素盞嗚尊 大己貴命 少名彦命 他 明治合祀十数柱 |
中山道、「望月の宿」にある。
望月城の南、歴史資料館のそば。
役場などの並ぶ通りに入口があり、階段上が境内。
天忍日命は大伴氏の祖神で、大伴武日命とも呼ばれる。
祭神が馬に乗ってこの地へ来られ、鎮座。
乗って来た馬を種馬として駒の改良繁殖をはかリ、
この地は、多数の馬を産する地となり、
信濃国最大の望月牧へと発展した。
| 逢坂の関の清水に影見えて、いまや曳くらむもちづきの駒 |
| 紀貫之 |
寛政の時代、佐久市にある新海神社は、佐久郡内一の大社であり、
佐久郡内の各神社の神官は、新海神社の神事へ奉仕することになっていたが、
当社大伴神社・長倉神社・英多神社の三社は式内社であることを理由に、拒否。
それに対し、新海神社は寺社奉行へ訴訟を起こすという事件があった。
参拝時に、宮司と家族の方が社殿の清掃をしておられた。
兼務ということで、朱印等は持参していないらしく、御朱印はなし。
神紋は「七曜」だが、社殿の瓦には、「雲に月」が附属していた。
社殿左側には、多くの道祖神・石祠が置かれていた。
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社伝によれば、景行天皇四○年の鎮座と言い伝
えられている。大宝年間(七○一〜四)諸国に牧場(官牧)
が設定され、千曲川・鹿曲川に境した七○○メートル乃至
八○○メートルの高原台地に牧草に適した草が繁茂し、そ
の広さ三、○○○余町歩、これが朝廷直轄の牧場となり、
所謂望月牧である。これを維持、管理する牧監が即ち早く
この地に土着して一大豪族となった大伴氏を祖とする望月
氏が朝庭より任命され、長倉牧・塩野牧の長官をも望月氏
が兼任した。 仁嘉元年(八五一)正六位上(文徳実録)、 延長五年(九二七)従五位上(三代実録)に叙す。また、「天 慶二年(九三九)平将門の叛乱討伐のため望月国忠出征する に当り大伴社前に願文を捧げ奉幣した」と伝えられる。長 享二年(一四八八)村上顕国佐久郡に乱入、当社、炎禍、望 月対馬守盛世、再建。戦国末期天正十七年(一五八九)社領 三〆二七○文。江戸期、除地、四石一斗五升七合。 −『式内社調査報告』− |