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式内社 信濃國水内郡 健御名方富命彦神別神社 名神大 旧県社 御祭神 健御名方富命 |
長野県長野市にある。
長野駅の北1Km、善光寺の東、
美術館の横、城山公園の側にある。
かっては城山一帯が境内だったらしい。
坂道の途中に、南向きの境内入口。
階段を登ると、赤い大鳥居が建っている。
鳥居の左側に社号標。右側に社務所があり、
広い境内の中央にある参道を進み、
さらに階段を登ると、社殿のある境内。
拝殿は瓦葺・入母屋造。
背後に石積みの上に流造の小振りな本殿が鎮座。
拝殿の左右に脇拝殿が付属しており、
左側の脇拝殿には扁額が無かったのだが、
右側の脇拝殿には「地主大神」と記された扁額が掲げられているので
中に地主大神が祀られているのかも。
境内左手に、四本の御柱が並んで立てられていた。
参拝は五月の日曜日の早朝。
朝日が昇った頃、6時前。
長野市は県庁所在地なので、昼間は車が多く
ストレスを感じるので、町がまだ寝ている時刻に訪れた。
創祀年代は不詳。
社伝によると、祭神・健御名方富命が
出雲より信濃へ入国の際、しばらく善光寺近辺にお住まいになり
先住の地方民を教化し、その後、諏訪へ移られたという。
持統天皇五年(694)勅使を遣わされ、
諏訪大社と共に風祝(かぜのはふり)の勅祭が行われ、奉幣の儀があり、
承和九年(842)神階従五位下が贈られた。
嘉祥三年(850)従五位上、仁壽元年(851)従三位、
貞観元年(859)正三位、貞観三年従二位、貞観九年正二位と進み
延喜の制では名神大社となった。
延文二年(1357)の『諏訪大明神画詞』に
善光寺境内の諏訪社として記されており
神仏習合の結果、善光寺の守護神となり
明治までは、善光寺北側の年神宮であったが、
明治十二年、城山の現在地に遷座し、
同年六月、県社となり、城山県社と通称されている。
社殿左手に境内社が二つ、
木匠祖神社と千幡社が祀られている。
境内には多くの石碑や句碑がある。
一番大きなものは、社殿右手の「明治天皇駐蹕之処碑」。
明治十一年に明治天皇を迎えた館が、ここにあったようで、
当社が、当地に遷座される以前のこと。