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新七稲荷
しんしちいなり
[長野旅行] 長野県小県郡青木村中挾  Zenrin Data Com Maps display !!
勇吉宮
ゆうきちぐう
[長野旅行] 長野県小県郡青木村字入奈良本  Zenrin Data Com Maps display !!
与兵衛明神
よへいみょうじん
[長野旅行] 長野県小県郡青木村字入奈良本  Zenrin Data Com Maps display !!


御祭神
新七稲荷平林新七命
勇吉宮堀内勇吉命
与兵衛明神増田与兵衛命

長野県の青木村にある。
青木村に入ると「義民の里青木村」と書かれた看板が目に入る。
青木村では、江戸時代の天和、享保、宝暦、文化、
そして明治二年と合計五回もの百姓一揆が起こったそうで
その首謀者や犠牲者を義民として崇敬し、村内各所に
十数人の義民の墓が、村指定の史跡になっているという。

義民の墓巡りも興味深いところだが、
当サイトは神社巡りのサイトなので、
今回は、その中で神として祀られている三人の義民(義人)を紹介する。

まず、中挟にある新七稲荷
中挟は、青木村役場から南西、沓掛温泉への道の途中にある集落。
『郷土を救った人々』には、その中挟の上野山の中腹とある。
知っていればわかりやすい場所にあるのだが、
知らずに訪れて、里山をウロウロと徘徊してしまった。
歩き疲れたので役場で聞いてみようと車に戻り、
役場に行く前に、中挟にある豊受皇大社へ向かうと、
豊受皇大社の前に、当社・新七稲荷への案内が出ていた。

ということで、当社は豊受皇大社の横から山に少し登った場所にある。
途中まではセメントの道だが、やがて山道となり
しばらく登ると、木製の鳥居と案内板が見えてくる。

鳥居をくぐり、さらに登ると、塚のような状態の境内がある。
境内中央には平林新七命を祀った新七稲荷の石祠。
右手には「史跡 享保の義民 新七稲荷」と刻まれた石柱が立っている。
新七稲荷の石祠の左手に、小さな石祠があるのだが、詳細はわからない。

明和四年(1767)の創祀。

祭神・平林新七は、享保の頃の義民。
中挟の西上(駕篭入)地区は、役人による検地が行われない免除地であった。
ところが享保六年(1721)、慣例を無視して検見役人が検地を強行したため
組頭であった平林新七が制止したが聞き入れられず、
ついに鎌で役人を殺害してしまったという。

このことが藩主の耳に入り、役人の落度が認められ
従来通り、西上の検地は免除され、毎年四十五俵の用捨米が給された。

平林新七は、処刑されたとも追放されたとも伝えられているが
平林新七の墓は、中挟の月夜平にあり、
「敬子浄正信士享保六年六月十四日」と刻まれている。

平林新七の没後四十七年の明和四年、
西上地区を見下ろす上野山の中腹に、稲荷大明神として祀られた。


新七稲荷境内

新七稲荷石祠

新七稲荷石祠

村指定史跡
新七稲荷
新七は中挟村の組頭 享保の初年 検見役人が懇願もきかず前例を破 り 駕篭入に足を踏み入れたので 鎌で殺害した 吟味の結果藩吏の 落度が明白となり新七は追放とな る 一説には刑死したとも伝えら れている 新七のこの働きにより 中挟村は毎年四十五俵の年貢を減 免の恩恵に浴した
墓は月夜平にあり敬子浄正信士享 保六年(一七二一)六月十四日と 刻まれている
死後四十七年の明和四年(一七六七) この地に祠を建てゝ霊を祀り 以 後年々祭典が行われている

−社頭案内板−

次は、入奈良本にある勇吉宮
入奈良本は、沓掛温泉から西へ向かう181号線の途中にある集落。
ここには恋渡神社という変わった名前の神社があるが、
勇吉宮はその300mほど手前。181号線から深山へ向かう道にある。

数本の木が聳えている開けた空間にあり、
周囲も最近整備された印象。境内の白い石祠も新しい。
石祠の前に二基の灯籠があり、石祠の左手には
「史跡 文化の義民 勇吉宮」と刻まれた石柱が立っている。

江戸後期の創祀。

祭神・堀内勇吉は、文化の頃の義民。
文化六年(1809)六月二十七日、
入奈良本の組頭であった堀内勇吉はじめ九十名の百姓らは、
上田城下に押し出し、 村の庄屋親子の非違横暴と
市之沢新宿の設置に反対して愁訴に及んだが捕えられ
堀内勇吉は永牢となって文化七年牢内で病死(五十八才)した。

堀内勇吉らに義挙により庄屋は御役御免となり、
百姓らの願いは聞き届けられたという。

その後、当地に祠を建て祀られた。
なお、堀内勇吉の墓は深山にある。


勇吉宮境内

勇吉宮境内

勇吉宮石祠

村指定史跡
義民堀内勇吉宮
文化六年(一八〇九)六月二十七日 入奈良本村の百姓九十人の先頭に たって、上田城下に押し出し、市 之沢へ新宿設置を反対して愁訴 捕えられ永牢となり、翌年七年 十二月十四日牢中で病死(五十八才) した。
組頭堀内勇吉を祀る神社である。 通称勇吉宮、明治初年まで入奈良 本村中で祭典が行われていた。 墓は深山にある。

−境内案内板−

次も、同じく入奈良本にある与兵衛明神
勇吉宮の西10mほどの場所に祀られている。
道路脇に階段があり、階段の上に石祠。
右手に「史跡 天和の義民 與兵衛明神」と刻まれた石柱が立っている。

石祠の右に、昭和四十二年の建てられた顕彰の石碑があるが、
一部が読めなかった。

宝暦九年(1759)の創祀。

祭神・増田与兵衛は、天和の義民。

一説には、増田与兵衛は松本の殿様の御落胤だと伝えられ、
松本改易の際に逃れて当地に入った人物だという。

天和二年(1682)、
この地の庄屋は藩の割当以上の年貢を村民に課し、
横領したり藩の役人への賄賂へ使っていたため、村民の生活は困窮。
増田与兵衛は庄屋の不正を藩主仙石政明候に直訴して、庄屋は処分された。
だが、御法度の直訴であったため増田与兵衛は捕えられ死罪を命じられた。

処刑の当日、藩主仙石候は増田与兵衛を憐れんで処刑取り止めを命じたが、
使者が到着する直前に首を切り落とされてしまったという。
仙石候は増田与兵衛の落命を悼み、祭祀料を下賜して下奈良本の滝仙寺に弔った。
増田与兵衛の墓は、今も滝仙寺にある。

宝暦九年、増田与兵衛の家の近くに祠を建てて祀った。


与兵衛明神

与兵衛明神石祠

与兵衛明神石祠


最終更新日:2013/10/09
【 青木村の義民を祀った神社 新七稲荷 勇吉宮 与兵衛明神 】

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