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大山田神社
おおやまだじんじゃ
[長野旅行] 長野県下伊那郡下條村陽皐4588  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 信濃國伊那郡 大山田神社
旧郷社

御祭神
大国主命
相殿
応神天皇 鎮西八郎為朝(源為朝)

長野県の下條村にある。
飯田線・天竜峡駅の南西11Kmほどの下條村陽皐(ひさわ)に鎮座。
151号線を南下し、陽皐交差点から西へ入った場所に境内がある。

境内入口は東向きだが、車道からの入口を見過ごしたようで、
道なりに進んでいると萬松山・龍嶽禅寺に到着してしまった。
龍嶽禅寺の東隣りが当社の境内。龍嶽禅寺の駐車場に車を止めて参拝開始。
ということで境内へは裏口から入った。
ただ、晩秋の表参道(東側参道)が良い雰囲気だったので、
とりあえず、表参道入口の鳥居まで歩き、そこから改めて参拝開始。

参道入口に「郷社大山田神社」と刻まれた社号標が立ち、
石鳥居の脇に祠が一つ。扁額が草書で書かれていて読めなかったが
「江権現」と読むのだろうか。

鳥居をくぐり階段を上り、枯葉の参道を進むと
黄色や赤色に紅葉した木々の葉が美しい。
木漏れ日を身体に浴びながら参道を歩くと境内に到着。

境内の中央に大きな御神木があり、その奥に社殿(たぶん東向き)。
舞台のような拝殿の後方に三棟の社殿を納めた覆屋があり、左右に張り出した形状。
拝殿の扁額には「福禄壽」とあり、
左に貼りだした部分の扁額には「八郎明神」とあり、
右の扁額には「八幡宮 大山田神社」とある。
覆屋の格子から左右の二棟は見ることが出来たが中央は暗くてよく見えなかった。

『式内社調査報告』によると、中央の本殿が大山田神社の社殿。
境内由緒書きによると江戸時代に建造されたもの。
左が八郎明神社殿、右が八幡宮社殿でともに室町時代の作らしい。

創祀年代は不詳。
式内社・大山田神社に比定される古社。

中央に大国主命を祀る大山田神社があり、
左に源為朝を祀る八郎明神、右に八幡宮を祀る。

源為朝は源為義の八男で、九州に追放されたため鎮西八郎とも称される源氏の武将。
保元の乱で、為義とともに崇徳上皇方に属して敗れ、伊豆大島へ流され自害した。

中古、源為朝の二男・大島二郎為家が伊豆を逃れて当地に至り、大島氏を名乗ったという。
よって近くに大島という地名が残っている。
為家は父・為朝の霊を八郎明神として大山田神社に祀ったため、
当地を伊賀庄鎮西野と称するようになった。
また、源氏の氏神である八幡宮も祀り現在のように形態になったという。

あるいは、当地は「よしかたいら」と呼ばれていたが、
室町時代に至り、領主下条氏が吉岡城を築城し、
その西方の地に八幡大神を勧請して鎮西八幡宮と諏訪明神宮を祀り
一族の氏神としたことにから鎮西と称するようになったとも。

何れにしろ八幡大神・八郎明神の勧請により大山田神社の名は忘れ去られたが、
江戸時代になって、式内社・大山田神社として復興されたらしい。

『式内社調査報告』によると
江戸時代の復興の時、現社地にあった鎮西八幡宮に、
菅野の「根ノ神社」の大国主命を勧請して大山田神社とし、
相殿に八幡大神と諏訪明神を祀ったとある。

ということで、本来の大山田神社は菅野の根ノ神社とも考えられ、
また『式内社調査報告』では「山田」の名から
阿南町深見字東條山田池明神の名も載っている。

明治七年(『明治神社誌料』では明治五年十一月)郷社に列した。

拝殿の左右に境内社が並んでいるが詳細は不明。
参道にも小祠が祀られ、境内右手には不動明王・浅間大神の石碑。

『平成祭データ』には境内社として八百萬社、稲荷社、五社の名が記されている。


鳥居脇の祠

鳥居

参道階段

参道鳥居

晩秋の参道

境内

拝殿

扁額には福禄壽

社殿

八郎明神

八幡宮

八郎明神

八幡宮

拝殿左手の境内社

拝殿右手の境内社

境内左手の不動明王・浅間大神

龍嶽寺側入口

式内社大山田神社
重要文化財指定
御祭神 大巳貴命(大国主命)
相殿応神天皇
相殿鎮西八郎為朝
社地下条村陽皐四五八八番地
社殿拝殿奥の覆屋に三社が祀られている
八幡宮社殿(室町時代)重要文化財指定
間口二、五七米、奥行二、五八米、一間社流造、向拝付、二重繁棰、栃板葺、緑勾欄、 脇障子付、蟇股、木鼻象形で彫刻等拡張高い社殿である。
大山田神社社殿(江戸時代中期)一間社流造
八郎明神社殿(室町時代)重要文化財指定
 八幡宮社殿と同手法であるが稍簡素である。
この二社殿は室町時代中期、永正四年(一五〇七)に再建された。蟇股、木鼻、斗栱 等当時の技法を伝へ中央文化による数少ない貴重な社殿である。明治四十五年内務省 より特別保護建造物に指定、昭和三十年文化庁より重要文化財指定を受け、昭和四十 七年文化庁による解体修理を行った。
神社の沿革、歴史
古代この辺り一帯は「菅野荒野」と呼ばれ 万葉集に歌われ、菅野朝臣真道縁りの地 とされている。神社の創立年代は詳かではないが、平安時代醍醐天皇による延喜式神 名帳に載る信濃国四十八座伊那郡二座の一座で、千年以上の歴史を持つ神社である。
室町時代に至り、領主下条氏はこゝに正八幡宮と諏訪明神宮を祀り一族の氏神とした。 これにより近郷の総鎮守として人々の崇敬厚く、特に下条氏七代目伊豆守家氏は京都 より宮大工吉村氏一族を招き社殿の造営を為さしめ、現在当神社の他、古代八幡宮に 二社殿が残り、何れも重要文化財指定を受けている。これは下条氏の文化水準、及び 力を示すものであり、神社の名声を広め重文を持つ式内社として貴重な存在となった。
江戸時代は人々の産土神として祭られ、八幡宮へ幕府より朱印地拾石を与えられてい た。寛永年間風倒木のため、八郎明神社殿が損害を受けるなど荒廃の時期もあったが 貞享、延享、宝暦年代に神主等によって修復され、下条氏以来潜めていた式内社大山 田神社の社名復活を行い、人々の信仰を富に集め、明治七年郷社に列した。
社叢、境内は数百年の老杉を初め杉桧の大木が繁り この元に繁茂する植物は約二百 六十種類で、然も南限北限の植物が混生する貴重な場所とされ、特に「青木」の群生 は珍しい。
祭例
四月五日
十月十日 伝統の獅子舞いが行われる

−境内由緒書−


『式内社調査報告』に本来の鎮座地ではないかとして載っている菅野の根ノ神社について。

『平成祭データ』には、根ノ神社は記載されておらず「子ノ神社」が載っている。
菅野は151号線の東側で、子ノ神社の住所がそのあたりなので、
たぶん、この社が根ノ神社なのだろう。

 Zenrin Data Com Maps display !! 子ノ神社(ねのかみしゃ)
長野県下伊那郡下條村大字陽皐字龍山6463

ただし、社前の社号標や拝殿扁額には「根ノ神社」とある。
残念ながら当社の由緒は未入手なので判らない。


根之神社

鳥居

境内

社殿

本殿

『式内社調査報告』に載っているもう一つの元地の候補、
阿南町深見字東條山田池明神について。

阿南町東条に深見池という大きな池があるので
その辺りに鎮座している(あるいは鎮座していた)神社だと思う。
念のため深見池に行ってみたところ、すぐ近くに立派な諏訪神社が鎮座していた。

 Zenrin Data Com Maps display !! 諏訪神社(すわじんじゃ)
長野県下伊那郡阿南町大字東条字トウジ469

境内には諏訪神社本社の他に津島神社などもも祀られ、
当社の祇園祭は長野県の無形文化財に指定されているらしいが、
当社の由緒も未入手なので詳細はわからない。
この諏訪神社、あるいは境内社が『式内社調査報告』の條山田池明神なのかどうかも不明。


深見池

諏訪神社

境内入口

鳥居

境内

諏訪神社社殿

境内津島神社

最終更新日:2014/07/22
【 大山田神社 (下條村) 】

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