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諏訪大社 上社 前宮
すわたいしゃ かみしゃ まえみや
長野県茅野市宮川字前宮2062  Zenrin Data Com Maps display !!


諏訪梶

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式内社 信濃國諏方郡 南方刀美神社二座 名神大
信濃國一宮
旧官幣大社

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御祭神
八坂刀賣神 (本地 千手観音)
御左口神(御社宮司神) 『諸神勧請段』『年内神事次第旧記』

諏訪湖の南、茅野駅の西にある。道路から階段を上ると
鳥居があり、その奥200m、畑の中にある森に鎮座している。

参拝時には朝霧が立ち込め、森の中の社殿は非常に幻想的だった。
参拝中に霧がはれ、日差しも出てきて、
美しく紅葉した周囲の山並みが姿を現す。
社殿の森の左手には小川が流れ、冷気に湯気をあげている。

諏訪大社は、上社・下社に分かれており、本来、
上社に建御名方神、下社に八坂刀賣神を祀っている。
また、上社には本宮前宮、下社には秋宮春宮があり、
四社を総称して諏訪大社という。

上社と下社では、奉祀する神職の長が
上社では神別(祭神の子孫)、
下社では皇別(皇族の子孫)とされている。

上社には御神体はなく、神別の大祝(おおほうり)
すなわち人間を神とする。八歳の童男をもって、大祝とし祀る。
大祝は職にある間、清浄を旨とし、郡外へ出ることも禁じられる。

前宮祭神をミシャグジ神とする説もある。ミシャグジとは
木や石に降り着く精霊・霊魂で、人にもつくらしい。
あるいは、大祝をミシャグジ神としたのかもしれない。

前宮は、この大祝の住居神殿(ごうどの)があった場所。
鳥居横の十間廊で、上社神事のほとんどが行われる。

上社の神事として、特徴的なものに、六年に一度の御柱祭と
蛙狩神事・御頭祭がある。往古、御頭祭は、前宮十間廊に
七十五頭の鹿の頭を供えたという、血生臭い神事で、
中に一頭、かならず耳が裂けた鹿がおり、
高野の耳裂鹿と呼ばれた。

『神道集』に、諏訪明神の本地として、甲賀三郎の話がある。
安寧天皇五代孫、甲賀の地頭、甲賀諏胤(よりたね)には、三人の子があった。
長男甲賀太郎諏致(よりむね)、次男甲賀次郎諏任(よりただ)、
三男甲賀三郎諏方(よりかた)であるが、その遺言により惣領は三郎へ。

惣領となった三郎は、大和の春日姫を后とするが、春日姫は天狗にさらわれる。
春日姫を求めて、諸国を探し、信州蓼科山で、不思議な洞窟を見つける。
部下達に藤蔓を持たせ、単身、洞窟へ入り、春日姫を発見。
無事連れ戻す。ところが、春日姫が大事な鏡を忘れて来たので
三郎は再び洞窟へ戻る。

ここで、穴の上にいた兄次郎は、三郎を妬み、春日姫に横恋慕。
藤蔓を切り、甲賀へ戻ってしまう。甲賀に戻った次郎は
春日姫に迫るが、春日姫は拒否して、三笠山へ閉じ篭る。

一方、甲賀三郎は、洞窟の中を彷徨い歩く。
この洞窟は、異界との通路になっており、色々な国が存在する。
三郎は、異界の諸国七十二国を歴訪し、好美翁の治める維縵国に辿り着く。
維縵国では、狩りが重要な仕事であったが、
好美翁の娘、維摩姫と結婚し、幸せに十数年の時を過ごす。
しかし、ある時、春日姫を思い出し、帰国を決意する。

好美翁は、帰路に待ち受ける様々な災難に備え、
数々の道具を渡す。脛あて・投鎌・梶の葉の直垂など、
これらの道具が、今日の諏訪大社神事の重要な役割を果たすことになる。

三郎は千日間歩き続け、無事に信濃浅間嶽に出る。
甲賀へ戻った三郎が、父を供養した釈迦堂で休んでいると、
子供たちが「大きな蛇がいる」と騒ぐ。
甲賀三郎は、蛇の姿になっていたのだ。

夜、釈迦堂の下に潜んでいると、十数人の僧が集まり、
蛇になった者が人間に戻る方法を語る。
僧たちは、各地の権現・明神たちであった。

人間に戻った三郎は、三笠山へ春日姫を迎えに行き、
中国へ渡って、神道の法を極める。
その後、日本へ戻り、信濃の諏訪明神となった。

兄次郎もその罪を悔い改め、明神となる。
父は赤山大明神、母は日光権現、長男は示現大明神、次男は田中明神。
甲賀三郎は上社に、春日姫は下社に降臨する。
あとを追って来た、維摩姫は浅間山に降臨する。

諏訪大社の御神紋は諏訪梶。
上社が四本足で、下社が五本足。


朝靄の中の社殿の森

社殿

拝殿

社殿

社殿の四方に御柱が建てられている。
以下の御柱は、最初に参拝した平成十二年当時のもの。


一之御柱

二之御柱

三之御柱

四之御柱

樹齢200年程の樅の巨木・御柱は
七年目毎(六年に一度)、寅と申の年に立て替えられる。
平成二十二年(寅年)に新しく立て替えられた御柱を見て来た。


一之御柱

二之御柱

三之御柱

四之御柱

 古事記上巻国譲りの段に、天照大御神が出雲の 大國主命を説得のため、建御雷天鳥船二神差遣せらるゝ ことゝなり、(中略) 建御名方神の「州羽」、すなはち、諏訪鎮座の説話が 記してあち、要点は、大国主神の御子神に、建御名方神な る勇猛な神がまし、建御雷神に敗れ、逃れて科野国諏訪の 地に至り、此処に永く留まり給うたといふことである。
 日本書紀にも、出雲の国で行はれた国譲り説話が記され、 著名な伝承の一つと言へるが、日本書紀の国譲りの段には 建御名方神の名はみえず、この説話に於ける同神の諏訪鎮 座には疑問が残り、古来より、天孫出雲両系の間に起つた 国土避譲の事実の反映として、多くの解釈がなされてゐる。 すなはち、古代に於いて諏訪地方は、皇祖側に対する一大 勢力をなし、建御名方神は、この諏訪族の祖神としてその 勢力の代表者とされた。同神が、建御雷神に追ひつめられ て永く諏訪に留ると誓つたといふ一段は、この文化現象を 逆用的に国譲神話に持ち込んだものと考へられてゐる。
 これ以降、持統天皇皇紀五年辛卯の条に、
  八月辛酉、遣使者、祭竜田風神、信濃国須波、水内神
とあり、諏訪神が祭られたことが記され、初めて中央政府 との関係を認める。以後、諏訪の地にて東国鎮撫に力を尽 し、その拠点として注目され、発展していつたものと考へられよう。

−『式内社調査報告』−


境内や周囲に、摂末社・関連社が多い。
境外にある上社直属の摂末社が三十三社。下社直属は十五社。
独立した摂末社は二十五社あるらしい。
とても回れないので、摂末社巡りはやめて、
目に付いたものだけ。


朝の境内

十間廊

内御玉殿

十間廊
 古くは神原廊と呼ばれ中世まで諏 訪祭政の行われた政庁の場ですべて の貢物はこの廊下で大祝の実見に供 された。毎年四月十五日の「酉の祭」には 鹿の頭七十五がそなえられたがこれ らの鹿の中には必ず耳の裂けた鹿が いることから諏訪の七不思議にかぞ えられた。
 上段に大祝の座、次に家老、奉行五 官の座があり、下座に御頭郷役人 の座なども定められ左手の「高神 子屋」で演ぜられる舞いを見なが ら宴をはった。

内御玉殿
 諏訪明神の祖霊がやどるといわれる 御神宝が安置されていた御殿である
諏訪明神に神体なく大祝をもって 神体となす」といわれたように 諸神事にあたってこの内御玉殿 の扉をひらかせ弥栄の鈴をもち 真澄の鏡をかけ馬具をたづさ えて現れる大祝はまさに神格 をそなえた現身の諏訪明神そ のものであった。
 現在の社殿は昭和七年改築されとも のであるが以前の社殿は天正十三年 に造営された上社関係では最古 の建造物であった。

−境内案内−



若御子社

御室社

溝上社


【 諏訪大社上社前宮 】

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