みわ
山梨県笛吹市御坂町二之宮1450

式内社 甲斐國八代郡 桙衝神社
旧県社

大物主命

山梨県笛吹市御坂町二之宮にある。
一宮御坂I.Cの西2Kmほど。御坂町から石和へ向う道に参道入口があり、
木立の参道の先に、こんもりと社域。
入口には黒褐色の鳥居があり、木のトンネルを抜けると、晩秋の境内。
広い境内は茶に染まっていた。

社伝によれば、景行天皇40年日本武尊東征の際に、
勧請し、国造塩海足尼を祭主として祀ったのがはじめ。

一条天皇の御代に、甲斐国二之宮の号を受け、
一宮浅間神社、三宮玉諸神社とともに、
甲斐国の水防の祭儀を執行した。

式内・桙衝神社の論社で、国史見在社。三代実録にその名が見える。
桙衝神社のもう一つの論社に、八代町の桙衝神社があり、
多くは、そちらを式内社としている。とすると、
二之宮として崇敬され、三代実録にも記された美和神社が、
なぜ、式内社とならなかったのか、気になるところ。

南向きの社殿の前には、立派な立石が立っている。
一宮浅間神社社殿の正面、子持石という男根石があるが、
こちらも、男根だろうか。
あるいは、蕃塀のようなものだろうか。


美和神社由緒
 美和神社は景行天皇の御宇日本武尊により甲斐國 造塩足尼が大和の大三輪神社から勧請し奉った甲斐 國内での古社である。祭神は大物主命で木造衣冠立 姿の御神体は平安時代の様式をもち重要文化財に指 定されている。後醍醐天皇の御代に一時杵衡神社と 称し奉ったが一條天皇の御時甲斐國第二之宮の号を 賜り年々一宮浅間神社、玉諸神社と共に甲斐國の水 防の祭儀を執行その御幸は國内をあげての大祭であ った。ために代々その國主の崇敬も厚く、社領の安 堵社壇の造営も行われそれらの由緒を示す社宝も見 るべきものが多い。社宝としては数々のものを保存 しているがその主たるものをあげると次のようである
一、大物主命神像 重要文化財平安初期の作
一、板絵着色三十六歌仙 県文化財永禄六年 信玄・義信寄進
    沼津与太郎筆
一、具足一領(信玄元服の具足)永禄九年信玄寄進
一、馬鞍一乗武田義信の寄進
一、一口(三尺二寸八分)八幡太郎義家奉納
一、太刀壱振松尾源十郎信豊寄進
一、制札(境内取締の定書)天正七年武田勝頼掲示
一、制札(   〃   )天正十四年徳川家康掲示
一、勅額(正一位美和大明神)弘安四年後宇多天皇御下賜
一、甲州二之宮造立帳永禄八年武田義信寄進
一、二之宮祭礼帳(天正年間の祭礼の記録)
古来より伝わる太々神楽は 県無形文化財指定 昭和五十六年三月

−境内案内板−


美和神社略記
 本神社は景行天皇の御宇日本武尊により甲斐国造塩海足尼が大和の大三輪神社から勧請した古社である。一条天皇の御宇甲斐国第二之宮の号を賜り、年々一宮浅間神社・三宮玉諸神社と共に甲斐国の水防の祭儀を斎行、その御幸は国内あげての大祭であった。鎌倉家・足利家・武田家・徳川家の崇敬厚く、社殿造営の保護があった。

−『平成祭データ』−