[HOME] >
[神社記憶] > 
[甲信越地方] > |
[PR]通販 |
[長野旅行]
|
式内社 信濃國筑摩郡 阿禮神社 旧県社 御祭神 素盞嗚命 相殿 大己貴命 誉田別命 大碓命(阿禮首守公同祖大碓命之後也)『神明帳考證』 阿禮首祖神(安曇宿禰海神綿積 豊玉彦神子穂高見命之後也)『神社覈録』 |
塩尻町。153号線から少し北へ路地を入る。
境内は広く、木々も聳え、社殿も立派だ。
東へ2Kmほど、20号線沿いに奥宮がある。
社名の阿禮は、「アレ」であり村落を意味するものらしい。
村の神ということかな。とにかく古い言葉のようだ。
境内に「阿禮大神」を祀った石碑がある。
拝殿前に、古い狛犬が復興されていたが、風化した表情が面白い。
拝殿後方の本殿周りにも木々が茂り、うまく撮影できなかった。
|
其の創立年代は『信府統記』(松本藩主水野忠恒の
命に依り編せるものにして享保七年に成る)巻十九所収の「松
本領諸社記」及び口碑の傅へる所によれば初め素盞嗚命出
雲簸川上の大蛇を平げて後、科野國鹽川上の荒彦山に化現
し悪鬼を討ち平げてより、其の大稜威を尊び仰ぎ奉つたと
いふ。荒彦山は今の五百砥山にして、鹽川は其の下を流れ
る四尾澤川なり。大同二年(八○七)坂上田村磨、勅命を奉
じ安曇郡有明山の兇賊を討ちし時戰勝を祈り、平定の後奉
賽の爲社殿を今の本村明神平に建てゝ奉遷し、且つ神田を
寄進。奥社と云ふは是である。文徳天皇仁壽元年(八五一)
秋九月悪疫天下に流行の折、宮司旨を奉じて祈祷し悪疫忽
ちに止んだことにより、遠近上下愈々深く崇敬し、翌二年今
の地に遷座。又同時に應神天皇即ち誉田別尊をも合祀し、
俗に「皇宮」とも稱した。今「大宮」と言ふのは其の轉訛
なり。大己貴命を合祀したのも此の時と思はれる。治承年
間(一一七七−八一)木曾義仲深く尊信、祈願所と定め且つ
治承四年(一一八○)木曾柏原の城中に分靈社を建てゝ奉
斎したが、義仲没落するに及び遺臣今井、高梨等社を上野
國に奉遷した。今の群馬縣勢多郡北橘村に鎮座の縣社木曾
三社神社である。
−『式内社調査報告』− |
[HOME]
