かなざくら
山梨県山梨市歌田714

式内社 甲斐國山梨郡 金櫻神社
旧村社

伊弉諾尊 伊弉冉尊 大己貴命 少彦名命

山梨県山梨市にある。
山梨市駅の南2Kmほどの歌田に鎮座。

境内の南に鳥居が立ち、ブドウ畑にはさまれた参道を歩く。
境内入口には、2本の松の木が鳥居のように立っている。

正面に拝殿、後方には赤い屋根の本殿。
境内には幾つかの祠や石祠、石碑なども立ち、
積み上げられた玉石が面白い。

金峰山を神体山とする神社で、里宮の一つ。

社伝によると、
狭穂彦王三世孫臣知津彦公の御子塩見定尼が
甲斐国の国造に任ぜられ、祖先の地・丹後国天橋立から
勧請した氏神で、橋立明神と称していた。

当時の祭神は、陰陽二神(伊奘諾尊・伊奘冉尊)であったという。

赤い本殿の屋根には、幾つかの彫刻がある。
紋章もいくつか見られ、武田菱が多いが、他に菊紋、桐紋なども。
拝殿の瓦には菱紋が付けられていた。


由緒
当神社は「甲斐国志」「甲斐名勝志」などによると、丹後の国(京都北部)与謝郡にある日本三景の一、天の橋立より勧請されて橋立明神とも言われ、黒印社領二石八斗六升、社地六百八十八坪、祭神は陰陽二神、即ち伊奘諾尊・伊奘冊尊で他に地主神・天照大神を配祀し、延喜式所載の金桜神社なりとされているが、山梨県神社明細帳によると現在は他に大己貴命・少彦名命二神が配祀されている。
一説に景行天皇の御代、狭穂彦王三世孫臣知津彦公の御子塩見定尼が甲斐国の国造に任ぜられ、京の丹波氏族である塩見定尼が、本国天の橋立より橋立明神を勧請し斎祀されたと伝えられている。
金桜神社については西村の旧社地に桜の古樹があり、毎年秋になると花をつけて秋桜と呼ばれ、五行説のうち秋は金に配され、金は秋の借り字として金桜神社と称されたと言われている。
また慶応四年、時の神主竹内淡路より甲府寺社御役所に提出された神社調書社記によると、鎮座について、初め丹後の国天の橋立より五反地に勧請、次に貞観四午(八六二)年金桜地将に移し次に天正十一年末(一五八三)年今の社地に移し候とあり、更に付近の地名にも五反田・御供田・古屋敷・地将金桜・神喰田・碓鍋太(田)鍵田・蔵米・大神原・並木並桧木田・坊主田京塚・桜田・十日田・洗井・西屋敷・源町など神社に関わるものが多く、夫々、地名の由縁が記されているのを見ると、往古より相当の神社であったことが伺い知られる。社殿についても、天正十年織田勢の乱入による兵火に罹り再建されてより元和二(一六一六)年の再興、元禄年中拝殿の改築、正徳年間石鳥居建立、更に寛政二(一七九〇)年より五年に亘る本殿の改築は、京の番匠一先斉某の考案による戸板、欄干、など彫刻の斬新さと、八ツ棟の結構は実に華麗を極めたとの記録を残している。

−『平成祭データ』−