式内社 越後國三嶋郡 鵜川神社
旧村社
鵜草葺不合尊,品陀和氣尊
柏崎駅の南、1Km程度。集落の中にある。
もとは、琵琶嶋城の二の丸があったところらしい。
八幡を合祀しているはずだが、拝殿には梅紋があった。
なぜだろう。神紋かどうかは、不明。
狭い路地を入って、参拝。道路が狭いので、苦労した。
社殿は大きく立派だが、本殿はよく見えなかった。
社前に立派な木があったが、神木だろうか。
桜がまだ咲いていたが、参拝中、大きな蜂がまとわりついて離れず、
気になって、ゆっくりできなかった。むかついた。
社伝によれば、祭神二柱は嵯峨天皇御宇、八條
殿當國介に任ぜられ、近江國より赴任の時、生國筑前國那
珂郡箱崎八幡宮の分霊を受け、弘仁二年(八一一)八月二十
二日遷座、是より本社を二殿とし、八社大神、八幡大神と
併稱した。當社境内は枇杷島城二ノ丸で、天文二年(一五
三三)上杉定憲に焼かれたが、同年十月二十六日、春日山城
主長尾爲景當社に祈願文を納めて社頭造営を誓つてゐる。
同三年の再建の時二殿を一社に合祀した。
永禄七年(一五六四)琵琶島城主宇佐美駿河守定満没し同
家断絶してより社運衰退した。天明二年(一七八二)六月、
吉田家より鵜川神社の社号許可をうけた。元文四年(一七
三九)正月二十二日社殿焼失、文化七年(一八一〇)再建。
當村の産土神として明治六年十一月、第六大区二小区の
村社に列した。
−『式内社調査報告』−
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