みやけ
新潟県長岡市中潟町556

式内社 越後國古志郡 三宅神社二座


波多武日子命 『神社明細帳』
大彦命,波多武日子命 『特撰神名牒』

長岡市中潟町にある。ここは非常にわかりにくい場所。
中潟の集落からJR線路を越えて東へ行くと、水田があり、
その奥の森の中。知らないとわからないぞ。

ここを含め、妙見、中潟、六日市と3つの集落に三宅神社が鎮座。
当地の東に在る金倉山三岳(幡持山、幕山、美明山)に
祭られていた神々を麓へ移したものらしい。

森が境内になっている。
入口の鳥居には「三宅神社」とあるが、拝殿の額には「宇都宮神社」
式内社調査報告によると、宇都宮は古名らしい。


 寛文五年(一六六五)八月、吉田家御尋に対し、 また同六年及び享保五年(一七二〇)五月、幕府寺社奉行所 より神社本末御尋の節、三宅大連当虎書上の「社伝」によ れば、「越の三宅神社二座は、大彦命の御子波多武日子命 が新羅の天日桙命の姫天美明命と婚し、この国の三明山に 鎮り、三殿を造つた。三殿とは上の嶺には大彦命・中の嶺 には日桙命・波多武彦命と美明命は陰陽相殿に鎮まる。三 宮殿、二柱の神系により三宅神社二座とす。二神の御子三 宅真人武倉麿の館は嶺の中腹に御所平という古跡であり、 次に造替の所が今、御所塚といい、『神名久羅の御所』と 称した。上の嶺が今の幡持山、中の嶺が幕山、北の嶺が美 明山で、総名を神名倉(金蔵山)と唱う。後世上の嶺に座 す大彦命を麓に移し、後の妙見と称す。中嶺の日桙命を的 場ヶ崎平岡に遷し、後の中片(なかがた)と称す。下の嶺に 座す二神を大久保が岡に移し、姓を神瀧谷連と改む。宇都 宮大明神を称す」云々と記してゐる。

−『式内社調査報告』−