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式内社 越後國頸城郡 斐太神社 旧郷社 大國主命(八千矛神),矢代大神(積羽八重事代主神),諏訪大神(建御名方神) 八千矛神 『特撰神名牒』 八千矛神,天照皇大神,建御名方神,積羽八重言代主神 『神社明細帳』 巨勢雄柄宿禰命 『神名帳考證』『越後野志』 荒人命(巨勢斐太臣の後裔) 『日本神祇志料』など |
妙高市、北新井駅の西側、18号線乙吉交差点を西へ。
周囲には古墳郡がある。
参拝当日は春の例大祭ということで、
正装の神職が近隣の神社から集まってきていた。
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『神社明細帳』には、次のやうに記載されてゐ
る。大國主命が国土経営のため御子言代主命・建御名方命
を従へて当国に行幸し、国中の日高見国として当地に滞在
した。大國主命・建御名方命は山野・田畑・道路を、言代
主命は沼地・河川を治め水路を開いた。積羽八重言代主神
は矢代大明神と称し、矢代川の名の由来となつたといふ。
河源鎮護として往古より岡澤山の奥に鎮座してゐたが、天
正二年(一五七四)四月三日、上杉謙信は現在地に合祀し、
鮫ヶ尾城の鬼門鎮護とした。この神のお祭は矢代祭と称
し、毎年四月三日には近郷の村落はもとより、遠く米山邊
の人達迄も祝祭したといふ盛大な祭であつた。諏訪大明神
も南葉山絶頂に鎮座してゐたのを、何れの時代にか現在地
に遷座したと口碑に伝へる。今日もその跡があるといふ。 上杉氏が鮫ヶ尾築城の際、百二十八ヶ村の総社と定め、 宮内・神宮寺・乙吉・籠町・雪森・青田・稲荷・十日市・ 飛田の各村を社領として寄進し、幣帛を献じ、崇敬厚かつ たといふ。天正七年(一五七九)、鮫ヶ尾落城の際、兵火に かかり、又、明暦二年(一六五六)の火災で社殿・宝物・古 文書等、悉く焼失してしまひ、その歴史はわからない。 −『式内社調査報告』− |