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神度神社
かむとのじんじゃ
富山県中新川郡上市町森尻5
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式内社 越中國新川郡 神度神社 |
富山県の上市町にある。
新宮川駅の東800mほどで、上市川の西岸、森尻に鎮座。
社殿は南向き(立山向きとも言える)。
本殿は覆屋の中にあるようだ。
かっては、阿弥陀如来を祭神としていた時期もあり、
また、立山権現とも称していた。
『和漢三才図会』に、以下のような記述がみえる。
文武天皇大宝元年、帝の夢に阿弥陀が出現し
「佐伯有若を越中の国司にすれば、国家安泰」と告げた。
帝はすぐに、有若に勅命。有若は嫡男・有頼とともに、越中国へ。
ある日、辰巳(東南)の方角から白鷹が飛来し、有若の拳に止まる。
有若は、これを愛育し、有頼は父に請うて鷹遊びへ出かける。
ところが、白鷹が逃げてしまい、探し求めたが見つからない。
そこへ、森尻の権現が示現して、
「辰巳の方角を尋ねるべし」と教える。
辰巳の山奥で、一人の老人に会う。
老人は、「白鷹は、いま横江にいる」と教え、
自分は「刀尾天神」であると告げる。
有頼が、さらに探し求め、奥へ行くと、熊に遭遇。
急いで熊を射ると、熊は逃げ出し、玉戸の窟へ。
有頼が、後を追って窟へ入ると、そこには阿弥陀の仏像が。
仏像の胸には、有頼の矢が刺さっており、血が流れていた。
そこで、阿弥陀は「我は衆生を救済するため汝を待っていた。
鷹は剣山刀尾天神、熊は我である。
はやく出家して当山を開くが良い」
立山の開山縁起であるが、そこに当社の神(森尻の権現)が登場している。
また、森尻の智明坊というものが、天狗に化し、
刀尾権現に退治されたという話もある。
社名の神度は、通常、カムトと読むが、
カミワタリと読む説もある。
越中と越後の境界に近く、神が渡るということらしい。
鳥居 | 拝殿 |
社殿 |
拝殿扁額 | 境内 | 本殿の覆屋 |
延喜式神名帳に見える古社で、明治六年郷社に列す。
往昔七堂伽藍具備せしも上杉謙信乱入の節焼失。地名にその名残り。
礎石田中より出づ。
−『神社名鑑』より− |