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刀那神社
となじんじゃ
福井県越前市寺地町12−35−1  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 越前國今立郡 刀那神社
旧郷社

御祭神
天御桙命

福井県越前市にある。
鯖江駅の東10Kmほどの寺地町に鎮座。
2号線から北を見ると服部川の向こうに社域の森。
高雄山の南麓に境内がある。

境内入口は南向き。
社前は駐車スペースだろうか、少し広い場所があり
「式内 刀那神社」と刻まれた社号標が立っている。

境内入口の数段の階段を上ると鳥居。
鳥居をくぐると右手に手水舎。
参道を進むと、由緒を刻んだ、平成三年建立の石碑があり、
さらに階段を上ると、広い境内がある。

参道途中に、左手に上る階段があるが
そちらには境内社らしき祠。

境内の中央に拝殿があり、後方に流造の本殿。
本殿の中を確認していないが、
ひょっとすると、これは覆屋で
中に祠があるかもしれない、そんな感じの社殿。

参拝日は雨の休日。
境内には湿気がこもり、生暖かかった。

社伝によると
天平二十年(748)の創祀。
服間郷奥八ヶ村の総社として崇敬され、
総神文に、従五位 刀那神社と記された古社。

当初、高雄山天領に勧請され
その後、横山に遷座。
さらに、現社地・瀧清水山へ遷座したという。

『式内社調査報告』には記載されていないが
社伝によると式内社・刀那神社の論社らしい。

文化十一年(1814)七月十三日、
近くの民家より出火し、社殿・旧記録を焼失。
わずかに勅額「惣社刀那神社」や御旗が残っている。

明治四十二年五月三十一日、
社殿改築を終えた河和田村寺中の八幡神社に
刀那神社および境内社である春日神社・子守神社を合祀。

同日、その八幡神社を郷社・河和田神社と改称。

昭和十八年七月十三日、
許可を得て、現在地に本社・境内社を復旧した。

境内社は、参道左手階段上の祠と
本殿の左右に一つずつ。

上記の春日神社・子守神社は
たぶん、本殿の左右の祠だと思う。
『福井県神社誌』によると、
両社は養老年間(717〜724)に創立されたとある。
本社よりも古いのだ。


社域

鳥居

境内

社殿

社殿

本殿と境内社

本殿と境内社

旧郷社刀那神社由緒沿革
 天御桙命を奉祀する当社は天平二十年(七四八) 聖武天皇の勅詔により当地高雄山天領に建立され 延喜式神名帳(九二七完成)今立郡十四座中にそ の名を列ねる由緒ある古社であるが、その後横山 地籍に移り、更に瀧清水山の現在地に移転された
 創建以来、服間谷奥八ヶ村の総社として天正の頃 (一一五七)まで隆盛を極めたが、一向一揆の際 度々の兵乱を被り神領も没収され数人いた神職も 離散した、その後当村の相馬伊左衛門が神官とな り、明治四十二年(一九〇九)県令により河和田 村八幡神社に一時合祀されるまで相馬家は代々神 職を勤め神社の復興護持に努めた。その間文化十 一年(一八一四)には火災により社殿文書すべて を焼失したが、区民の篤志により翌文化十二年に は本殿を、天保十二年(一八四八)には末社の再 建を果している。
 この相馬家の始祖平親王相馬将門は寛和元年( 九八五)四月五日当地に来り、屋敷一町四方に館 を構え相馬真海と改名、民姓に交わり稼牆を業と し正暦五年(九九四)九月十六日九十歳でこの地 を卒す、なお境内社 春日神社は将門が下総国守 居城に勧請された天児屋根命を奉祀する相馬家代 々の信仰篤き社である。


−境内案内板−



【 刀那神社 (越前市) 】

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