HOME [HOME]  >  [神社記憶]  >  [北陸地方]  >
メニューを消去する。ページを印刷するために。 印刷用ページ


須可麻神社
すがまじんじゃ
[福井旅行] 福井県三方郡美浜町菅浜98−3  Zenrin Data Com Maps display !!


十六菊


五三桐

式内社 若狭國三方郡 須可麻神社
旧無格社

御祭神
世永大明神(菅竈由良度美姫) 麻気大明神

福井県美浜町にある。
東美浜駅の北5Kmほど。
敦賀半島の西側を北上した菅浜、馬石山の西麓に鎮座。

鳥居をくぐると、敷地の一角にこじんまりと社殿がある。
社殿の扁額は、「式内須可麻神社」「麻気神社」の2枚。

社殿の左側にはいくつかの境内社が並んでいる。

創祀年代は不詳。

祭神は須可麻大神だが、世永大明神とも呼ばれている。

一説に、「須可麻」の社名は菅竈であると考え、
祭神・須可麻大神は、菅竈由良度美姫であるとする。

『古事記』によると、菅竈由良度美姫は天日矛神の子孫であり、
神功皇后の祖母、応神天皇の曾祖母にあたる姫。
敦賀地方は、天日矛一族の渡来気化地とする説があり、
その子孫を祀った神社と考えられている。

また、鎮座地菅浜の地名も祭神の名に由来するらしい。

ただし、『式内社調査報告』では、この説を支持していない。
菅竈由良度美姫の兄弟・酢鹿之諸男(すがのもろを)、
父・清日子(きよひこ=すがひこ)の名も菅に通じるところから、
先に菅という地名があり、そこから祭神の名がとられたという。

『古事記』に記載の天日矛の系譜。

天日矛

多遅摩母呂須玖

多遅摩斐泥

多遅摩比那良岐

多遅麻毛理 多遅摩比多訶
清日子
└――― 菅竈由良度美
酢鹿之諸男

高額比売命

神功皇后

応神天皇

相殿の麻気神社は、明治41年に合祀されたもの。

社殿の屋根に、菊紋と桐紋が付いていた。
『福井県神社誌』にも、菊・五三桐と記されているので、
これが当社の神紋だろう。


境内

鳥居

社殿

社殿

横から

社殿扁額、左が須可麻神社、右が麻気神社

境内社

境内社

須可麻神社由来書
御祭神
世永大明神(菅竈由良度美姫)
麻気大明神
例祭
暦年 六月二日
由緒
敦賀半島及び、美浜町東部(旧山東村)は、古朝鮮(新羅)の王子であった 天日槍の一族が集団渡来(亡名帰化)した地点とされ、それにまつわる地名 の多い地域とされています。
菅浜には、その天日槍の子孫である菅竈由良度美という人が住みつき、焼き 物作りをされ、若狭地方に焼き物を広められたと言われています。その焼竈を お祭りした社を菅竈神社と定めたのが須可麻神社のはじまりと推定されています。 又、菅竈由良度美は敦賀の気比神社や常宮神社に祀られている神功皇后の祖 母に当たり、菅浜には神功皇后や夫の仲哀天皇、その子応神天皇にまつわる 神話も伝えられています。
神職
織田神社宮司が兼務
祭祀
古くは四月二日に行われていたが、太陽暦になって五月二日になり、更に集 落の都合により現在は六月二日になり、手作りの子供神輿や青年の神輿が村 内を練り歩きます。
社殿
以前は神社、寺社が同一場所に建設されていたと言われていますが、明治初 期に分割され、寺社は山の方に移転しました。
現在の社殿は、昭和五十年(一九七五年)に改築されました。本殿は流造、 西向き、明神鳥居。
本殿の正面に向って左側に式内須可麻神社、右側に麻気神社が鎮座されて います。村民の信仰は深く、現在も毎月、月次祭が祀られています。

−境内案内板−



最終更新日:2013/10/09
【 須可麻神社 (美浜町) 】

ボーダー




北陸地方
japanmap
全国 北海道・東北地方 関東地方 甲信越地方 北陸地方 東海地方 関西地方 中国地方 四国地方 九州・沖縄地方
下新川郡 朝日町
下新川郡 入善町
滑川市
魚津市
高岡市
黒部市
射水市
小矢部市
中新川郡 上市町
中新川郡 立山町
砺波市
南砺市
氷見市
富山市

かほく市
羽咋郡 志賀町
羽咋郡 宝達志水町
羽咋市
加賀市
金沢市
鹿島郡 中能登町
七尾市
珠洲市
小松市
能美市
白山市
鳳珠郡 穴水町
鳳珠郡 能登町
輪島市

あわら市
おおい町
越前市
吉田郡 永平寺町
今立郡 池田町
坂井市
鯖江市
三方郡 美浜町
三方上中郡 若狭町
小浜市
大飯郡 高浜町
大野市
丹生郡 越前町
敦賀市
南条郡 南越前町
福井市