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護國八幡宮
ごこくはちまんぐう
[富山旅行] 富山県小矢部市埴生2071  Zenrin Data Com Maps display !!


剣梅鉢

旧県社

御祭神
誉田別天皇
配祀
息長足媛命 田心比賣命 湍津比賣命 市杵島媛命
合祀
春日社 天津兒屋根命 經津主命 武甕槌男命 比賣大神
埴安姫社 波邇耶須比賣命
諏訪社 建御名方命 八坂刀女命
霊社 東照宮分霊 尾山神社分霊
天満宮 菅原道真
出雲社 大國主大神

富山県小矢部市にある。
北陸本線・石動駅の南西2Kmほどの埴生に鎮座。
西には石川県との県境、古戦場として有名な倶利伽羅峠のある場所。
42号線から西へ入った場所に南東向きの境内がある。

参拝は10月。
当日はメルヘンおやべ道の駅で車中泊し、
暗いうちに目覚めたので、とりあえず当社に向かった。
当社前にも、「倶利伽羅源平の郷・埴生口」という
小さな道の駅のような休憩施設があったので、
その駐車スペースに車を止めて、再度仮眠。
少し明るくなり始めた頃に参拝を開始した。

参道入口には、「八幡宮」の扁額のあるピンク色の鳥居。
鳥居をくぐり参道を進むと、参道左手に大きな源義仲の騎馬像がある。

参道を進むと境内入口の鳥居。
鳥居の右手に授与所があるが、まだ開いていなかった。
その脇に、「鳩清水」の手水鉢。
案内によると、倶利伽羅山中からひかれた水で、
源義仲(木曽義仲)が当社で戦勝祈願の折り、
白鳩が飛来し、その導きによって源氏勢は清水を得たという。

鳥居をくぐると、蓮沼城主・遊佐慶親寄進の103段の参道石段。
かつては108段あり、108の煩悩を踏み消して神に近づく意味があった。

石段を上ると広い砂利の境内。
境内中央に拝殿・幣殿があり「護國八幡宮」の扁額。
後方には釣殿と流造の本殿。すべての社殿は桃山時代様式で旧国宝。
現在は国指定重要文化財となっている。

本殿は、慶長五年、前田利長が大聖寺出陣の際に戦勝祈願し帰還後に寄進。
幣殿と本殿をつなぐ釣殿は、慶長十六年、病気平癒祈願のため寄進。
拝殿・幣殿は、元和八年、前田利常夫人天徳院の産後平癒のため寄進されたもの。

社伝によると、養老二年、豊前国宇佐宮から勧請された古社。

古くから文教の祖神、殖産の神として崇敬され
通称は埴生八幡宮と称されている。

弘仁二年、国守大伴家持が国家安寧と五穀豊穣を祈願。

治承四年、平家追討の令旨に応じて信濃で挙兵した木曽義仲は、
寿永二年、倶利伽羅峠で二倍の軍勢の平維盛の大軍と対峙し、
埴生に陣を取って、当社に戦勝を祈願。
『平家物語』では、この時、雲の中から三羽の山鳩が飛来し
源氏の白旗の上にひらひらと翻ったとあり、この瑞兆を得て大勝。
『源平盛衰記』には、四・五百頭の牛の角に松明を燃やして
平家の陣中に放ったとある。
以来、諸将の崇敬篤く、武田信玄、佐々成政、遊佐慶親、
歴代藩主前田家の信仰も篤かった。

一般に「護国」の名を持つ神社は、
戦争などの国事に殉じた英霊を祀る神社だが
当社の「護国」は、それとは異なる。
慶長十三年頃、地方の凶作が続いたため、前田利長が当社に祈願。
霊験により凶作が打破されたため『護国』の尊号を奉ったもの。

明治六年郷社に列し、明治二十七年県社に昇格。

当社の神事「宮めぐり」は、九月十五日の例祭後、
氏子少壮者十名が当社所蔵の甲冑をまとい、
男児は宝物を手にして、拝殿の広縁を
特異な曲の笛・太鼓に合わせて闊歩し
八回目に本殿に向かって、喊声(ときの声)を挙げて馳せ参ずる。
これは、木曽義仲の戦勝御礼詣を表現しているらしい。

社殿や由緒案内板には剣梅鉢が付けられており、これが当社の神紋。
ただし、本殿には菊紋や桐紋も付けられている。


社頭

鳥居

境内入口

参道の木曽義仲像

参道石段

鳩清水

境内社殿

拝殿

本殿

境内

富山県小矢部市埴生鎮座
 護國八幡宮 由緒
(埴生八幡宮)
■御祭神 主神 八幡大神 産業・文化・勝運の神
 宮縁起によれば、奈良時代養老年間に宇佐八幡宮の御分 霊を勧請(お迎え)したのに始まり、天平時代には越中の 国守大伴家持が国家安寧を祈願したと伝えられる。
 平安時代の末、寿永二年(一一八三年)五月、木曽義仲 は倶利伽羅山で平維盛の大軍と決戦するに当たり、埴生に 陣をとり、当社に祈願をこめて著しい霊験があった。この ことは、平家物語、源平盛衰記などの中に語られている。
 以来、蓮沼城主遊佐氏、武田信玄、佐々成政など、戦国 武将の信仰が篤く、江戸時代には、加賀藩主前田侯の祈願 社となった。社名の「護國」とは、江戸の始め、地方の凶 作が続いたため、前田利長卿が当社に祈願せられ、この尊 号を奉ったことによる。
 社殿は、大正十三年国宝となり、現在は国指定重要文化 財となっている。
■例祭 九月十五日、特殊神事「宮巡り」が行われる。
■境内 約二万坪、日本一の源義仲像、「鳩清水」(とやまの名水)がある。

−境内由緒−



鳩清水
 手洗鉢に注ぐ水は、水源を 倶利伽羅山中の幽境「鳩清水」 の滝に発し、三キロの山側を経て、ここに 至ります。今を去る八百年前の昔、木曽義仲が 当社に祈願の折、白鳩の飛来があり、その案内 で源氏勢が清水を得たと伝える霊水で あります。。昭和五十九年の全国名水百選には 富山県推薦名水となり、また「とやまの名水 五十五選」の一つに選ばれました。

石段
 社殿正面に昇る石段(一〇三段)は 戦国末、埴生村蓮沼の城主、遊佐 慶親の寄進にかかるものです。 もとは一〇八段ありました「一〇八の煩悩を 踏み消して神様に近づく」のであります。

−境内案内−



謡曲「木曽」と護国八幡宮
 謡曲「木曽」は、木曽義仲が埴生八幡の 加護によって、平家に大勝した経緯を 描いた一番である。
 木曽義仲は平家と戦って越中埴生に 陣していた時、図らずも八幡宮の大前を拝する 好運に恵まれ、随喜の涙と共に、覚明に願書 を作らせて、御宝前に熱誠の祈りを捧げた。
 頼もしいかな、八幡大神、真実の心を照覧し 給うたのか、雲の中から山鳩が三羽飛来し て白旗の上に舞った。かくて、この吉兆を 拝した義仲は、遂に倶利伽羅の決戦場で 大勝を博したのである。
 埴生の地に鎮座あるので埴生八幡とも称え また「護国」の称号は、慶長年間、地方凶作 の折に、累代の帰依の篤い前田侯の懇祈の 霊徳が著しかった事によるという。

−境内案内−



護国八幡宮 畧誌
社名
護国八幡宮
「護国」とは、江戸時代の始め慶長年間に、地方に凶作が続き、庶民の疲弊が甚しかったので、前田利長卿には当社に豊作を祈願せられ、その霊験いちじるしく、ためにこの尊号を奉る。
鎮座地
富山県小矢部市埴生
祭神
主神 誉田別天皇(応仁天皇)
配祀 四柱
合祀 出雲社、春日社、諏訪社、東照宮、尾山神社、天満宮
御神徳
主神、応仁天皇は我が国十五代の天皇にましまして、その御神徳は、
1、殖産興業を振興せられ、畜産を奨励し、諸国に池堤を造築して農業の発展に尽され、或は鍛冶法、紡織法を大陸から輸入せられた。
2、文化発展の基礎作りをなされた。史書の示すところでは、この御代に始めて大陸から論語と千字文とが伝わった。即ち文字の輸入、文字、哲学の輸入があって、直ちにその研究に着手せられ、これを吸収させられた。
3、平和的で進取の気象に富まれた、朝鮮との国交を篤くし、往来頻繁に行なわれ、吉野の国巣(くす)族とも和親せられた。
(附記)右のような御業績のお方であったが、源氏が八幡宮を(特に鎌倉八幡宮を)氏神として以来、戦いの神様としてあがめられるようになった。
由緒
創祀
奈良時代養老年間に、宇佐八幡宮の御分霊を勧請して始まる。(社伝)
奈良時代
天平年間に、越中の国守大伴家持は国家安寧・五穀豊穣の祈願を行う。(社伝)
平安時代
この時代の末、寿永二年五月、木曽義仲は埴生に陣をとり、倶利伽藍山に二倍の軍勢を布く平家の大軍と決戦するに当り当社に戦勝の祈願を篭めて、いちじるしい霊験があった。(平家物語・源平盛衰記に詳しい。)
戦国時代
当時の支配階級であった武門武将の信仰が篤く、武田信玄、佐々成政、遊佐慶親(小矢部市内、蓮沼城主)等の祈願が、しきりに行なわれた。その頃、当社には所属の八房(実光房宝積房、愛染房、王蔵房、遍照房、修行房、千手房、本覚房)があり、僧兵(神仏混淆)を保有し、当地方に有力な武力集団の一つを構成し、号令していた。
合戦に際して当社へ感状並に合力方依頼の書状
1、遊佐慶親よりの感状
永正三年 婦負郡寒江合戦の際に。
同年 東礪波郡栴檀野芹谷合戦に。
2、武田信玄より
永禄十一年(下新川郡)松倉村金山合戦に。
元亀三年 「越中の戦局は、本年が重要な極点である。依って戦備を固めよ。」と。
3、畠山義耀より
元亀二年 能登国入国しようとするに際し。
4、佐々成政より
天正九年 神主埴生民部丞の還住を許す。
信仰の対象としては、社領の社伝寄進が相ついだ。
1、佐々成政より
天正十年 二六九俵の土地(祭典厳修のために一四四俵・大宮司等の給与として四五俵・八坊へ(八〇俵)を寄進。
2、前田侯より
天正14年 武運祈誓のため、前田利長より六〇俵の領地を寄進あり。
慶長五年 前田利長卿大聖寺へ出陣の際、祈願あり、御帰陣の後、本殿を寄進せられた。(桃山建築)
江戸時代
この時代は、前田侯の祈願社として、徳川将軍家、前田侯の病気祈願、安産祈祷等が行なわれた。
慶長十六年 前田利長卿が高岡在住の折、病気平癒を祈願して釣殿を寄進。
元和八年 前田利常卿夫人天徳院の産後平癒のため祈願のため、拝殿、幣殿の改築寄進があった。
(前田侯の祈願書は数十通。)
現代
明治元年、神仏分離令によって、僧形八幡様一体を当部落医王院(薬師寺)に遷座し奉った。
文化財
大正十三年、社殿全部が「国宝」の指定となる。戦後「重要文化財」となる。
御神像
御神霊位は祭神柱数を奉祀するも、御神像(木像)は二体まします。平安時代中期に属し、崇高、豊麗、厳粛の御尊容を排す。
主要宝物
宮縁起(寛文八年) 一巻
木曽義仲の祈願書 一巻
木曽義仲の奉納上刺の矢 二本
同矢じり 一本
同道祖幣 一基
武田信玄の「卯の花縅の鎧」 一領
同書状 一巻
佐々成政の社領寄進状 一通
同采配 一振
豊臣秀吉の兜 二領
同小牧山戦備表 二幅
豊臣秀頼の八才の書 一幅
前田藩主の社領寄進状 二通
前田藩主社殿等の寄進状 二通
徳川将軍家、前田侯祈願状 数十通
特殊神事
「宮巡」の神事。
九月十五日、当宮例祭後、(午後三時頃)氏子少壮者数十名が当宮所蔵の甲冑をまとい、宝物を手にして、拝殿の広縁を笛太鼓の音に合わせて、濶歩し、八回目に一同は本殿に向って馳せ参ずる。是は木曽義仲の戦勝の御礼詣での今日に残るものと伝える。
境内
・総坪数二万坪。
・「鳩清水」 御手洗石鉢に注ぎ、防火水槽にたたえられている清水は、今を去る凡そ八百年前、義仲が平維盛の本陣に迫る途中、八幡宮をへだたる2キロ半の山手に於いて、鳩の導きによって清水を得、源氏勢の将卒一同が渇を医して勇気を鼓舞したと伝える滝を水源としている。
・石段 一〇三段は蓮沼城主遊佐慶親の寄進にかかるもの。昭和六年改修
近傍の名所
・将軍塚・茶臼山・礪波の関・巴塚・葵塚・蓮沼城址・関の清心・日埜宮林・卯花山(卯花の里)・陣貝山(勢揃山、小耳入)・矢立山・塔の橋・源氏が峯・中黒坂・南部坂、北黒坂・猿が馬場・倶利伽藍谷(馳込谷、地獄谷)・手向神社(現在クリカラ不動となる)・五社権現・御野立所・上埜別館等

−『平成祭データ』−



最終更新日:2013/10/09
【 護国八幡宮 (小矢部市) 】

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