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黒龍神社
くろたつじんじゃ
[福井旅行] 福井県福井市舟橋町29−1  Zenrin Data Com Maps display !!


丸に三つ巴

式内社 越前國坂井郡 毛谷神社
旧村社

御祭神
高龗大神  闇龗大神  大山祇神  継体天皇

福井県福井市にある。
福井駅の北5Kmほどの舟橋町に鎮座。
九頭龍川にかかる九頭龍橋(30号線)の南詰。
河川敷を背にして境内がある。

参拝は早朝日の出の頃で、
社前の一方通行(南側)に車を止めて参拝。
参拝時には、参拝に夢中で気付かなかったのだが
後で地図を見ると、当社参道入口は西側にあるのかもしれない。
ひょっとすると、30号線側に鳥居が建っているのかも。

南側の車道脇にある鳥居をくぐると砂地の境内。
境内右手には「舟橋会館」という建物。
公民館だろうか。

境内の奥、河川敷道路を背にして社殿が建っている。
拝殿は瓦葺・入母屋造。
背後の本殿は瓦葺・流造で、側面がガラスで覆われている。

創祀年代は不詳。

黒龍川(九頭龍川)の守護と国家鎮護を祈願して創祀された古社。
当初は、現在地の上流6.5Kmほどの川の中央
高尾郷黒龍村(毛谷の杜)に鎮座していたが、
その後、舟橋へ遷座されたのが当社。

元明天皇和銅元年(708)九月二十日、
継体天皇の御遺徳を景仰し、御霊を合祀。

『式内社調査報告』によると
後、当社からの遷座が続き、
後醍醐天皇元徳元年(1329)六月一日、
神託により、越前守参議藤原國房公が北ノ荘斉屋清水に社殿を建立し
元鎮座地名と併せて「毛谷黒龍神社」と号した。
後陽成天皇慶長八年(1603)正月十日、
越前藩主中納言松平秀康公により社地として
桜井山(黒龍山)を寄進され、今の藤島神社の位置に社殿を造営。
明治八年十二月十日、足羽山の麓に遷座された。

境内の手水鉢や社殿の屋根には巴紋が付けられている。

社殿の左右に境内社。
右側は石の台座の上に木の祠。
左側には石祠や石碑が祀られている。
『福井県神社誌』には境内社として日吉神社の名があるが
どちらの祠のことだろうか。


社頭

境内

境内と舟橋会館

拝殿

本殿

社殿左の石祠

社殿右の祠

舟橋黒龍神社御由緒
鎮座地福井市舟橋町九字二十九番地
御祭神高龗大神 闇龗大神
大山祇神 継体天皇
 黒龍神社は、往古日本古来の四大明神の一 社として、東の常陸国には鹿島大明神、南に 紀伊国には熊野大権現、西の安芸国には厳島 大明神があり、北の越前国の当地には黒龍大 明神として、竜神を御勧請、日本の国家鎮護 と黒瀬川(九頭龍)の守護神として創祀され た古社である。
 村名のいわれは黒竜川の川辺にあり、また 黒竜宮が鎮座していた故か黒竜村といわれて いたが、天正年間、柴田勝家が舟四十八艘に より、舟橋を架橋して後、今の舟橋となった。
 黒竜神社の、宮地をその後今の、福井市足 羽山麓毛矢の森に移遷されたが、当社には創 始以来の、黒龍大明神の御神霊が鎮座ましま している。度重なる戦乱、一向一揆等による 兵火また水禍により、社廟の衰頽もあったが  近郷の総社として、舟橋、高木、高柳、寺 前、灯明寺、舟橋新、稲多等七カ村の住民氏 子(五百四拾余戸)の崇敬の中心であった。
 当社は福井市舟橋二字龍ノ割に鎮座していた が、天保、明治、昭和の水禍河川改修等によ り川欠となり、現在の地に遷座し、年々歳々 祭祀を厳修してきた。現在氏子戸数三百余戸 広大無辺の御神徳を敬仰している。

−境内石碑より−



最終更新日:2013/10/09
【 黒龍神社 (福井市舟橋町) 】

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