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多太神社
ただじんじゃ
石川県小松市上本折町72  Zenrin Data Com Maps display !!
むざんやな 甲の下のきりぎりす

十六菊菱

式内社 加賀國能美郡 多太神社
旧県社

御祭神
衝桙等乎而留比古命 仁徳天皇
配祀 八幡宮
應神天皇 神功皇后 比咩神
配祀 西宮社
蛭兒命 軻遇突智神
配祀
大山咋命 素盞嗚命 繼軆天皇 豊臣秀吉
菅原道眞 保食神 稻倉魂神
猿田彦命 大宮女命 齋藤實盛 水上大神

石川県小松市にある。
JR小松駅の北1Kmの上本折町に鎮座。
境内入口は西側で、交差点の近くに入口の鳥居と社号標。

境内の参道には、当社縁の芭蕉や実盛の像などが並んでいる。
参道の突き当たりに拝殿。その後方に本殿があり、
どちらも板の雪囲いで、重量感が増している印象。

社伝によると、六世紀初め武烈天皇五年六月に
男大跡王子(後の継体天皇)によって勧請された古社。

現在の祭神は、衝桙等乎而留比古命。
衝桙等乎而留比古命は、出雲国風土記記載の
秋鹿郡多太郷の地名起源説話に登場する神。
当社の社名である「多太」からの連想によるものと思われ、
以前は、大田田根子命が祭神と考えられていたらしい。
こちらも社名「タダ」からの付会のようだが。

寛弘五年(1008)に花山天皇の遺勅により、
舟津松ケ中原にあった八幡宮を合祀し
多太八幡宮と称したという。
当社は、兜の八幡様と呼ばれ、実盛の兜を社宝としており、
参道にも「八幡様の兜」の像がある。

この兜は、斉藤実盛の着用していたもの。
実盛は、寿永二年源平の合戦の時、
加賀の篠原の地で73歳で討死にした平家の武将。

初め源氏の義朝に仕えたが、平治の乱後、平家の宗盛に仕え、
武蔵の国・長井の庄の別当として居住したという。

争乱の中、幼少の木曽義仲の命を救ったこともあったが、
平家敗亡の軍の時、手塚の太郎光盛に討たれた。
武者の黒髪を訝って首を洗ったところ、白髪が現れたという。
敵に老武者と侮られることを口惜しいと
白髪を黒く染め、潔く散った老将軍であった。

その後、木曽義仲が実盛の供養と戦勝を祈願して
当社へ兜を奉献し、現在、国の重要文化財となっている。

元禄二年(1689)松尾芭蕉が奥の細道の途次、
旧暦の七月二十四日に北陸路を金沢から小松へ入り
当地に宿泊して、句会を開催。
当社へ詣でて、実盛の兜や袖を拝観し、
木曽義仲と斉藤実盛の数奇な巡りあわせに思いをはせ

「むざんやな 甲の下のきりぎりす」 芭蕉

という歌を奉納した。供の二人も歌を詠んだ。

「幾秋か 甲のきえぬ 鬢の霜」 曽良
「くさずりの うら珍しや 秋の風」 北技

寛文七年西宮社を配祀し、明治十五年県社に列した。

参道の左手に松尾神社。本殿の左に福久宮稲荷神社が祀られている。
『平成祭データ』には、他に金刀比羅社・神明社・春日社などの
末社が記されているが、気づかなかった。


境内入口

参道

八幡様の兜像

松尾芭蕉像

斉藤実盛像

社殿

拝殿

本殿後方から

松尾神社

福久宮稲荷神社

多太神社由緒

 当社は創祀が遠く古代までさかのぼる古社 である 社縁起によると 六世紀初め武烈天 皇の五年に男大跡王子(後の継体天皇)の勧 請によると伝えられ 平安時代初期には延喜 式内社に列している 寛弘五年(一〇〇八)に舟津 松ケ中原にあった八幡宮を合祀し 多太八幡 宮と称した
 寿永二年(一一八三)源平合戦のとき 木曽義仲 が本社に詣で 斉藤実盛の兜 鎧の大袖等を 奉納し戦勝を祈願した 室町時代初めの応永 二十一年(一四一四)には 時衆第十四世大空上人 が実盛の兜を供養された 以来歴代の遊行上 人が代々参詣されるしきたりが今も尚続いて いる 大正元年に本殿後方から発掘された八 千五百余枚に及ぶ古銭は 室町中期の十五世 紀初めに埋納されたもので 当時の本社の活 動と勢力の大きさを示すものである
 慶長五年(一六〇〇) 小松城主丹羽長重が古曽 部入善を召出され 三男の右京に社家を守ら せ 舟津村領にて五丁八反二四三歩を寄進さ れたことが記録にある 加賀三代藩主前田利 常は 寛永十七年(一六四〇)に社地を寄進し 慶 安二年(一六四九)の制札には 能美郡全体の総社 に制定し 能美郡惣中として神社の保護と修 理にあたるべきことを決めている
 元禄二年(一六八九)松尾芭蕉が 奥の細道の途 次本社に詣で 実盛の兜によせて感慨の句を 捧げている 歴代の加賀藩主及び為政者はい たく本社を崇敬し 神領や数々の社宝を奉納 になった 明治十五年に県社に指定された
 歴代の宮司はその人を得 よく精励し神社 の守りにあたってきた 古い由緒と歴史を持 ち 広く人々の尊信を受けてきた本社の神威 はいよいよ輝きを加えている

−境内由緒石碑−



【 多太神社 (小松市) 】

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