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熊田神社
くまたじんじゃ
石川県能美市吉原町レ−131

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式内社 加賀國能美郡 熊田神社 |
石川県能美市にある。
JR北陸本線寺井駅の北東2Kmの吉原に鎮座。
交差点の北東角に境内があり、境内入口は西向き。
少し下って参道が東へ延び、参道には幾つかの鳥居が立っている。
参道を歩くと、突き当たりは雛壇のように一段高く、
社殿や神馬像が並んでいる。
その雛壇の前は、土の広場。
参拝した日は天気が非常に良く、青空が美しい一日だった。
境内は、木々も少なくかなり開放的で、
参道を車道が横切っている。
深遠さとか、侘びとかは一切感じないが、
明るい日の下に祭られている神社も、それはそれで清々しい。
ただし、『式内社調査報告』の載っている昔の写真では
木々が豊富で、ひっそりとした神域であったようで、
最近整備されたばかりなのかもしれない。
社号の熊田は、『平成祭データ』には「くまだ」とあるが、
『石川県神社誌』には「くまた」。
創祀年代は不詳。
往古は、根津郷熊田村に鎮座していたが、
寛永年間に、手取川の洪水で熊田村が流出し、
当時の金沢村泉野神社へ、御神体を納め、
村民は湊村・吉原村へ移住。
吉原の八幡宮に小祠を立て、熊田社として祀ったという。
その後、吉原村と熊田村の合併の後、
吉原八幡宮と熊田社を合祀し、熊田神社と称した。
が、吉原村も土地が低く、度々洪水の被害を受けていたので、
村全体が、明治41年に、南方の地(現在地)へ移動。
熊田神社は、一足早く、明治39年に現在地へ遷座した。
当社の名は、『今昔物語』に登場する。
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今は昔、加賀の国に七人の下衆がおり、釣を生業としていた。 ある日、沖に出たところで嵐にあい、ある島に流れ着いた。 その島で、20歳ほどの男と出会い、酒や食事を御馳走になる。 男は、 「この島の沖に、もう一つ島がある」 「その島の主が、私を殺して、この島を乗っ取ろうとしている」 「どうか、手助けして欲しい」 七人の下衆が、翌朝見てみると、 沖から大ムカデがやって来て、大蛇と格闘。 危うくなった大蛇を助け、大ムカデを退治した。 男は、お礼として、この島に住むことを勧め、 島から出る時は、男が風を吹かせ、 島へ戻る時は、加賀の熊田宮を祭れば、風が吹くと告げた。 そこで、七人の下衆は七艘の船で、この島に移り住んだといい、 島の名を「猫の島」という。 |
この「猫の島」が、舳倉島であるとされている。
社殿の横に神馬像には、梅鉢の紋が付けられていた。
参道入口 ![]() | 参道 ![]() | 参道 ![]() |
境内 |
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境内 ![]() | 社殿 ![]() |
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熊田神社由来碑
熊田神社の創立は遠くして定かではないが 延喜式には加賀國能美郡八座中に熊田神社と あり白山記には國之八社中熊田神社今昔物語 猫島霊験記には熊田の宮の名前がでている古 社であって所謂延喜式内社である 明治初年 時の県令(今の県知事)桐山純孝より熊田神 社は延喜式内社なるを以て毎月二回は必ず月 次祭を行うべき旨仰せられ今に至るも毎月二 日 十六日の二回は氏子交互御供を奉り祭典 を行っている 始め熊田村に熊田神社 吉原村に八幡宮があ った 寛永年間の大洪水で熊田村の神殿流出す 元禄十四年の郷村名義抄によれば熊田村と吉 原村と合併して吉原村と称し明治九年には許可 を得て熊田 八幡の両社を合祀して熊田神社と改 称す従来同字チ六十五番地に鎮座したが明治三十 九年六月現今の地に遷座 明治四十年九月二日神 饌幣帛料供進神社に指定される昭和五十五年浄財 の供進を得て新たに神輿をつくり秋まつりに は氏子を渡御する 大正十五年十一月より安宅住吉神社神官が 宮司職として奉祀している −境内石碑より− |
【 熊田神社 (能美市) 】
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