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舟津神社
ふなつじんじゃ
[福井旅行] 福井県鯖江市舟津町1−3−5  Zenrin Data Com Maps display !!


三巴


三光

式内社 越前國今立郡 丹津神社
旧県社

御祭神
大彦命
相殿 式内社 越前國丹生郡 大山御板神社 猿田彦命
配祀 孝元天皇 素佐嗚命

福井県鯖江市にある。
鯖江駅の南500mほどの舟津町に鎮座。
王山の東麓に境内があり、北陸本線の西側に参道入口。
参道入口には石鳥居が建っていて、鳥居扁額には「舟津宮」。
鳥居の右前に「式内舟津神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐると100mほどの森の中のような参道。
参道途中にも鳥居が建っており、
さらに進むと県重文の大鳥居。
大鳥居をくぐると、小道を横断した場所に
境内入口の同じく県重文の赤鳥居が建っている。

参道途中の鳥居扁額や、赤鳥居の扁額には「舟津神社」と記されている。


参道入口の鳥居

参道の鳥居

大鳥居

赤鳥居

県重文 舟津神社大鳥居
 寛政十二年(一八〇〇)再建の木造両部鳥居。 枠差鳥居ともいう。島木・笠木の上に屋根を 付ける越前型の典型的なもの。鼾゙。板葺。 総高六・五八メートル、柱中心間隔四・七七メートル。
 江戸後期における白木・木造鳥居の現存遺構 は少なく、建築的意匠も優れ、再建・修理関係 文書も大量に遺されていて、年代・棟梁名 その他も明らかにでき貴重である。
 寛政七年(一七九五)四月再建の決定をみ、爾来 五年の準備の末、同十二年釿立、七月三十日 棟揚、八月二日竣功した。棟梁は小黒町村 大工重兵衛等三人棟梁、木引は鯖江町木屋市平。 文化元年(一八〇四)二月廿日楊揚賀祭、槌供養齋行。
 天保十年(一八三九)、安政二年(一八五五)、昭和三十三年(一九五八) 等に修理され、ことに安政時のは大修理で、 十分の一板図も遺されている。昭和六十一年 三月二十八日福井県指定有形文化財に指定。 平成二年十二月解体・復原修理、三年九月十 九日竣功した。

−参道案内−



県重文 舟津神社赤鳥居
 明神鳥居。木造朱塗。柱下部笏谷石製。 銅板葺。高さ四・二メートル、柱中心間隔三・四メートル。
 安永三年(一七七四)五月鯖江藩主間部詮茂 (一七三九〜八六)奉納。棟梁は鯖江藩作事頭竹内 次郎兵衛。同年四月十九日作事着手。五月十 三日竣工、十五日殿様御柱社参あって御検分。  『舟津記録抄』や『間部藩日記』に間部家 奉納・修理の関係記事が散見し、「藁座」鳥居 と見える。藁座とは根包から発した名称で 柱の下部を土中深く埋め、これに木造鳥居を いわゆる追い掛け継ぎにして帯銅で締めてある 形式を指しているのであろう。
 本鳥居は修理を要する際には、鯖江藩寺社 奉行にその旨を届けると、作事方より来社して 屋根葺替等をすることになっていた。天明五年 (一七八五)、寛政十一年(一七九九)に屋根修理が あり、次いで文政六年(一八二三)積雪転倒により 解体修理されている。平成十年四月二十三日 本殿と共に福井県指定有形文化財に指定

−参道案内−

赤鳥居をくぐると、木々に囲まれた境内があり、
境内は苔の覆われて一面も緑。
その緑の境内奥に、県重文の大きな本殿がある。
本殿の扁額には「船津宮」。

参拝日には拝殿は無かったが、本殿前には建物の基礎があった。
これは、平成三年九月二十七日の台風によって倒壊した割拝殿の基礎らしい。

社伝によると、崇神天皇の御代、
勅によって北陸道へ遣わされた大彦命は、
淡海から角鹿の津に赴き、八田という所に着いて
舟場より乗船して東進し、途中「塩垂の長」という長老の教えを受け
安伊奴彦の先導により、深江という所に到った。
舟を付けたので舟津といい、その地の山に登ると
先に消え去った長老に再び合ったので「逢山(王山)という。

この長老こそ猿田彦命であり、その神示により
この神を三太(御板)の神として、山上に祀ったという。
これが大山御板神社の創祀であり、式内社・大山御板神社の論社。

成務天皇四年、大山御板神社に孝元天皇が合祀され、
大彦命が舟津の地に勅祭された。
これが舟津神社の創祀であり、式内社・丹津神社に比定されている古社。

継体天皇元年に両社の神殿が再建され
王山山上の大山御板神社を上の宮といい、
舟津神社を下の宮と称したが
天元年中(978〜83)下の宮の火災により、
上の宮の東境に小社を建てて遷宮。
寛仁三年(1019)、下の宮の再度の火災により
上の宮に合祀された。

応永二十三年(1416)社殿老朽化により下の宮を再建し
下の宮の相殿に上の宮を祀り、
正中に大彦命、左座に猿田彦命、右座に孝元天皇が祀られた。

寛保二年(1742)、王山東200mの地から、
東麓の現在地に遷座された。
古社地は現社地の東方300mにあり、
昭和六十一年発行の『式内社調査報告』では、田地の中に小塚が残っており
古宮と称しているとある。
残念ながら、参拝時には知らなかったので、未確認なのだ。

参道入口にある、幟の基礎部分に神紋が刻まれていた。
左側には三巴紋。右側には日月星の三光紋。
それぞれが舟津神社と大山御板神社の神紋かもしれない。
また、賽銭箱には金色の巴紋が付けられていた。

本殿前の参道から左に小道が延びており、
本殿左奥に境内社・八幡神社が鎮座。
八幡神社の横には、樹齢五〇〇年の大杉が聳えている。

その大杉の根元に小さな石祠があり、
石祠にも三光紋が彫られていた。

ちょっと気になるのは、石祠の三光紋の中の月の向き
参道入口にあった三光紋の中の月の向きが違っていた。
石祠の月は、足羽神社の神紋と同じものなのだが
月の向きに意味は無いのかもしれない。

また、『福井県神社誌』には境内社として
八幡神社の他に以下の社名が記されているが
大杉の根本に並んでいる石祠のことだろうか、
僕が見落とした(忘れた)のだろうか。

金山彦神社、金毘羅神社、疱瘡神社、熊谷稲荷神社、日吉神社、
熊野神社、土輪神社、白山神社、稲荷神社、大日孁神社、大洗磯崎神社。


境内

境内

本殿

八幡神社

本殿

舟津神社
 『延喜式』神名帳所載の社、いわゆる式内社で、北陸一の古社。 祭神は大彦命。相殿に大山御板神社、祭神猿田彦命  孝元天皇素佐嗚命を祀る。四道将軍の一人大彦命は 崇神天皇十年(前八八)勅によってこの北陸道に遣わされ、 その際逢山(王山)の峰に楯三枚を以て社形を成し、猿田彦命を 祀り国中安寧を祈り、成務天皇四年(一三四)市入姫が勅をうけ 大彦命を舟津郷に奉斎したのが創りと伝え、前者が大山御板神社 (上宮)、後者が舟津神社(下宮)である。
 「延喜式神名帳」では丹生郡、今立郡に分れて所載するが 上宮が王山の上に下宮が王山の東方数町の所に位置し 両郡の郡境に比定される叔羅川(現、日野川)が往古は王山の 東を流れていたことに依るとされる。寛仁三年(一〇一九)下宮が 火災に罹り、下宮を上宮に合祀。応永二十三年(一四一六) 下宮が再建され、爾来上宮・下宮同殿の社となる。
 中世には守護斯波氏及び朝倉氏の崇敬を受け、近世には 社地は福井領であったが、享保六年(一七二一)間部氏の鯖江入部 以後はその祈願所ともなり、鯖江藩の産土神としても崇敬された。 寛保二年(一七四二)往古の上宮・下宮の中間地 王山の東麓に 社殿が遷された。明治八年県社に列せられた。例祭は九月二十日。
 背後に王山古墳群があり、国の史跡。本殿、赤鳥居、大鳥居は 県指定文化財。社宝に市指定文化財の太皷樽などがある。

−参道案内−



県重文 舟津神社本殿
 祭神は大彦命。相殿に大山御板神社すなわち 猿田彦命孝元天皇素佐嗚雄命を祀る。
 五間社流造。身舎は正面五間・側面四間  向拝は正面三間・側面一間。背面中央に桁行 三間・奥行二間の庇。神座三間。正側面三方に 高欄付き木口縁を設け、木階七級を付す。
 柱は身舎は円柱、向拝は方柱。組物は身舎は 拳鼻付き出組、実肘木付き、中備に間斗。向拝は 出三斗、実肘木付き。背面庇が拳鼻付き平三斗。
 妻飾は出組。大虹梁の上に大瓶束三本を建て、 平三斗を置き、二重虹梁を渡す。その上に大瓶束・ 両脇亥扠首、束上に出三斗を置いて棟木を受ける。 破風の拝みに猪目懸魚、向拝桁等に雲型の桁隠。
 屋根は杮葺。大棟は笏谷石の樋棟。鬼板付き。
 文化十三年(一八一六)再建釿立、文政三年(一八二〇) 竣功。棟札二枚の他に四百五十点に及ぶ再建 修理関係文書が伝存する。昭和六十三年屋根 修復にあたり桟瓦葺を改め、杮葺に復原された。
 平成十年四月二十三日福井県指定有形文化財に指定。

−境内案内−



最終更新日:2013/10/09
【 舟津神社 (鯖江市) 】

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