楢本神社の論社は、三社あり、距離も近い。

明治には論争があり、特に下柏野と宮丸は、激しく争った。
困惑した石川県は、占いによって神慮を伺うこととしたそうだ。
現在は、数Km南を流れている大河・手取川だが、
昔、このあたりは、その流域地帯であったらしく、
度々の氾濫によって、町々の離散廃滅が甚だしかった。
そういう事情によって、楢本神社も遷座・分祀を繰り返し、
複数の論社が生まれることになったのだろう。
当社は、その三社の中で、一番広い境内を持ち、
社格も、もっとも高い県社となった。
地元の政治家の力によるものであるとか、いろいろと非難があったようだ。
古来、大久保宮と称し、天武天皇四年の創立と伝えられ、
歴代藩主から尊崇された古社。
子安観音と習合し、民衆の信仰が深かった神社。
宮丸地内には、梅ノ木を植えてはならないという禁忌がある。
祭神が、梅ノ木によって眼をつきさされたという伝承があるのだ。
では、菅原道真を合祀しているのは、変じゃないか。