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気多御子神社
けたみこじんじゃ
[石川旅行] 石川県小松市額見町サ−58  Zenrin Data Com Maps display !!


五七の桐

式内社 加賀國江沼郡 氣多御子神社
旧郷社

御祭神
大己貴神 (気多大神) 菊理媛神 (白山大神) 天照皇大神 (神明大神)

小松市額見町。北陸本線粟津駅から、西へ2Km。
緩やかな登り坂の上、道がカーブしている所に、
森があり、裏参道の鳥居が見える。
正面に回ると、冬なのに木々が茂って鳥居が隠れている。


社域森と裏の東参道鳥居

森の中を歩くと、枝に積もった雪が、
時折、ドサッ落ちてくる。常に、ヒタヒタと水が垂れ、
町中にあるのに、神秘的な空間だ。

創祀年代は不詳。

式内社・氣多御子神社に比定されている古社。

この境内には、雑草が生えないという伝承がある。
延宝年間、社守の六兵衛が淵に入って禊をしていると、
淵に住む大亀が出現し、襲ってきたので捕えて殺そうとすると、
大亀は、末代まで境内の草を取り除く事を約束したので放免にした。

参拝したのは、雪の季節だったので、確認はしていないが、面白い。

明治までは、神明宮とよばれ、相殿に白山宮。
現在は、式内気多御子神社と称して、祭神も三柱となっている。

社域の森は、「神ヶ森」あるいは「北森」とよばれ、「北」=「気多」。

当社の神鏡には「天日方奇日方命」と鋳出されているという。
当社では、「天日方奇日方命」が大物主神大己貴命)の
奇御魂であるらしい。
「天日方奇日方命」は、櫛御方命とも呼ばれ、大物主神の御子。
あるいは、大己貴命の御子・事代主命の御子とされているが、
ようするに、大己貴命の直系子孫。
神武天皇皇后媛蹈鞴五十鈴媛命の兄でもあり、
大神朝臣・賀茂朝臣・石辺公の祖ともされている。


広い社叢中央にある、雪解け水の滴る参道を歩くと、
拝殿があり、後方に一段高く本殿がある。

神紋は、社殿には「五七桐」が付いていたが、
神馬像には「五三桐」だった。あまり気にしていないのかもしれない。


東参道入口

境内入口

参道

境内

拝殿

拝殿から参道

本殿

本殿

神馬像

天満宮

気多御子神社由来碑
 本社の御祭神は往昔越の国の御経営に従事 された大己貴命(気多大神)を主祭神とし、 さらに菊理媛神(白山大神)、天照皇大神(神 明大神)を加えた三柱である。
 本社は従前「神明宮」と称せられ、上古よ り気多の神奈備に鎮座され、歴代の天皇が厚 く御崇敬なされ平安時代初期文徳天皇の頃仁 寿元年に正六位を叙せられた。
 その後数度の御昇叙を経て延喜の制国幣小 社(延喜式内社)に列せられた。
 長保、寛弘の頃は花山天皇の御崇敬が特に 厚く本社神護寺を祈願所と定められ鎮護国家 の道場として佛生寺と御命名せられた。
正治元年(鎌倉初期)以後三百八十年間中 院家がこの地の領主として神宝、幣帛を奉納 し、社殿を修理し瑞垣を造り以後社頭は常に 盛大であり、明応九年(室町時代)後土御門 天皇より御神階最高の正一位を賜った。
 しかしその後戦国の世となり一向一揆等の 兵火や大火により神社の神宝、古文書等の多 くが散逸した。
 以後、加賀藩主前田利家公始め累代藩主の 御崇敬が厚く三代利常公には社殿の再建、神 領の寄進等特別の保護を受け、社守には加賀 藩士滝川玄蕃左門氏およびその子孫が御奉仕 されていた。
 明治十二年には気多御子神社と改め大正十 四年郷社に昇格。
 境内末社の菅原社は平安中期の延長年間の 創建と伝えられ勧学の神として往昔より崇敬 されている。
(後略)

−境内案内−



最終更新日:2013/10/09
【 気多御子神社 】

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