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旧県社 御祭神 譽田別天皇 帶中津日子天皇 息長帶日賣尊 境内摂社 高岡神社 式内社 越前國敦賀郡 高岡神社 境内摂社 天八百萬比咩神社 式内社 越前國敦賀郡 天八百萬比咩神社 境内末社 天国津彦神社 式内社 越前國敦賀郡 天國津彦神社 境内末社 天国津比咩神社 式内社 越前國敦賀郡 天國津比咩神社 |
福井県越前市にある。
北陸本線・王子保駅の南2Kmほどの国兼町に鎮座。
参道入口に朱の鳥居が立ち、
参道を進むと、丘の前にも朱の鳥居。
境内に入り、参道階段を登ると、
もう一つの鳥居があり、神門がある。
参拝は、日の出の頃。
もちろん、他に参拝客はいない無人の境内。
参道の灯籠には明かりが灯っていた。
神門をくぐると、鎌倉時代の梵鐘(市指定文化財)。
その奥に、室町時代建立、入母屋造杮葺の
大きな拝殿(国重要文化財)があり、
拝殿の後方、一段高い位置に、社殿が並んでいる。
当社の神社配置は、他の神社と若干異なり、
他の神社で神楽殿(舞殿)のある位置に拝殿があり、
通常拝殿のある位置に、独立した幣殿。
幣殿の後方、垣の中に本殿がある。
当社には、重要な境内社も多いので、
各社殿については次のページに記載する。
社伝によると、寛平三年の鎮座。
第五十八代光孝天皇の御代、
仁和三年(887)八月三日、
紀中納言友仲朝臣が、当国国府の南泉島へ流罪となった。
無実の罪を嘆きながら、現在の本殿に位置に
榊を植え、石清水八幡宮の神を祀った。
宇多天皇の御代、寛平元年(889)三月
勅許により京都へ戻ることができた。
これを喜び、神勅を戴いて社殿を造営し
寛平三年(891)八月二十日、
石清水八幡宮の神霊を勧請したのが当社のはじめ。
鎮座の際、王子保一帯を神領としたことから、
大塩保八幡宮と称するようになり、
江戸の頃に、大塩八幡宮と呼ばれるようになった。
明治四年十月郷社に、七年六月県社に列し、
明治四十三年十月十三日、王子保区内の十二社
(大神下前神社、宇佐神社、愛宕神社、若宮神社、
日野神社、日吉神社、小白山神社、癒瘡神社、
天神社、住吉神社、若宮神社、稲荷神社)を合祀した。
八幡宮なので、神紋は三つ巴。
境内にある式内社については次のページ。
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