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紀倍神社
きべじんじゃ
福井県坂井市春江町木部西方寺5−20−1  Zenrin Data Com Maps display !!


輪宝

式内社 越前國坂井郡 紀倍神社
旧村社

御祭神
別雷尊
配祀
建角身命 玉依日賣命

福井県春江町にある。
北陸本線・丸岡駅の西7Kmの木部西方寺に鎮座。
九頭竜川河口部から8Kmほど遡った場所で、
九頭竜川の東岸。

参道入口は南側。
実際は、社前を道路が走っており
長い参道を通らなくても参拝は出来るのだが、
せっかくなので参道入口から参拝を開始。

鷲排水路あたりに鳥居が建っており、
200mほどの長い参道が北へ延びている。
この辺りの地図を見ると排水路などが多いのが特徴だ。

で、この長い参道は、「西方寺城馬場通り」といい
もとは西方城の馬場であったらしい。
紀倍西方寺城は、新田義貞に従って鎌倉攻めで軍功をあげた
由良越前守光氏の居城だったらしい。

参道を進むと境内入口。
入口の左手には「式内 紀倍神社」と刻まれた社号標。
境内は明るく広いが、まず目に付くのは
社殿前の「オニヒバ」の巨木。

式内社・紀倍神社の論社の一つ。

創祀年代に関しては、
十九世紀初頭までは、一條天皇の寛弘年中とされていたが
現在は延暦の頃という。

当時、この辺りが湖沼地帯であり、
芦が茂り、水鬼が出没。
勅命により、芦原を拓き、七堂伽藍を建立して
山城国加茂宮より勧請し、祈願所とした。

その後、政道坊と名乗る僧侶が
水鬼を龍剣で退治し、鬼の胴を境内に埋め、
その上にヒバを一対植えたという。
ゆえに、境内のヒバをオニヒバという。

そのオニヒバは、天正三年、織田信長の兵火にかかり焼失。
そのあとに植えたのが、現在のオニヒバらしい。

当地・鬼辺郷は九頭竜川や兵庫川に囲まれた地域で
しばしば川の氾濫に見舞われた低湿地帯であったため、
早くから水防堤築造による排水・治水・防水の努力が続けられ、
輪中組織が出来ていたという。
その努力の結果、貞亨年間に木部堤防が完成。
これらの事業が当社創祀の背景と考えられている。

明治になるまで加茂神社と呼ばれていたが、
明治四十三年十二月、木部神社と改称。
さらに昭和二十七年二月二十五日紀倍神社と改称した。

社殿の右に境内社が一つ。
境内の池の中にもう一つあるが、詳細は不明。


参道入口

参道

参道

境内入口

境内

拝殿

本殿

拝殿とオニヒバ

池の境内社

社殿右手の境内社


【 紀倍神社 (春江町) 】

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