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四方神社
よかたじんじや
[富山旅行] 富山県富山市四方一番町1978  Zenrin Data Com Maps display !!


八重梅

旧村社

御祭神
伊須流岐比古神 伊邪那岐神 伊耶那美神
木花咲耶比賣神 火産巣日神 須佐之男神
合祀
事代主神 住吉三柱神 天照大神 稲倉魂神
菅原道眞 四方建比古神

富山県富山市にある。
富山駅に北8Kmほどの四方一番町に鎮座。
神通川を西へ渡って北上し富山湾の四方漁港へ。
その四方漁港のそばに境内がある。

境内入口は東向き。
入口の石鳥居の脇に「四方神社」と刻まれた社号標が立っている。
参道を進むと、右手に瓦葺の手水舎があり、
正面に銅板葺き入母屋造の堂々とした拝殿。
後方の本殿は、同じく銅板葺きの流造で幣殿・拝殿と連結した構造。

社殿の右手に、垣に囲まれて栂野彦八顕彰碑が立っている。
四方漁民のために自らの命を犠牲にした、江戸時代の義民。
各地の神社に見られる顕彰碑は、その文字が読みにくく、
当サイトでも、あまり取り上げることはないんだけど、
中には悲惨な歴史や物語が刻まれていることもある。

創建年代は不詳。

『平成祭データ』によると、天正年間以前から、
四方西浜辺に六尺四方の小社があったという。
その後、寛永年間(1624〜1645)能登石動山五社の別当職がこの地に巡回し、
社地を定めて社殿を再建、さらに領主の命により延宝年間(1673〜1681)社殿を建立し、
石動山(五社権現)の分霊社として創立されたという。

また『富山県神社誌』によると、往古は五社の社殿が立っていた大社であったが、
たび重なる波の害で海中に沈没し、現在でも沖合に五社宮という網場があるという。
その後、貞享年間(1684〜1688)石動山別当職・堪寂浮喜法師が、
宝永年間(1704〜1711)社殿を改築し、海中に没した五社宮を相殿とした。

以上のように由緒伝承に年代の違いはあるが、
江戸時代初期に石動山の分霊を祀って再建された神社だとわかる。
それ以前は、四方港の守護神として祀られていたのだろう。

石動山の五社大権現とは、石動山山頂・大御前の本社に
大宮大権現(伊弉諾尊・本地虚空蔵菩薩)と
白山から迎えた客人大権現(伊弉冊尊:本地十一面観音)を祀り、
山中の梅の宮に梅宮鎮定大権現(天目一箇命:本地勝軍地蔵菩薩)、
火の宮に火宮蔵王大権現(大物主神あるいは迦具土神:本地聖観世音菩薩)、
剣の宮に剣宮降魔大権現(市杵島姫神あるいは素盞鳴尊:本地倶利伽羅不動明王)。

ただし、当社祭神を見ると梅の宮の祭神は木花咲耶比賣神となっている。
木花咲耶比賣神は、梅というより桜を連想させる神だが、
あるいは五社大権現とは別に祀られているのかもしれない。

明治になって、伊須流岐比古神社と改称し、
明治四十年六月、境内社天満宮、同都賀比古神社、
中坪鎮座の恵比須宮、四方新村の稲荷社と神明社などを合祀して四方神社と改称した。

元境内社都賀比古神社の祭神・四方建比古神が栂野彦八。
寛政年間、振り売り(天秤棒を担いで売り歩くこと)を禁じられた四方漁民は生活に困窮し、
切羽詰まって集団で郡奉行に乗り込もうとした時、
彼らを説得して、単身で直訴におよび自刃して果てた当時の町年寄。
彼の死後、振り売りは黙認されることとなり、
彼の遺徳を偲んで、四方町民が建てたもの。
境内の案内によると、諏訪の森に彼の石像があるらしい。

社殿の屋根や神灯に梅紋が付けられていた。
北陸の神社では、前田家の影響で梅紋・梅鉢紋が多く見られるが、
当社の紋は珍しい八重梅紋。
珍しいといっても、僕が知らないだけでポピュラーな紋かもしれないが。


境内社殿

拝殿

本殿

栂野彦八顕彰碑

拝殿扁額

本殿屋根に神紋と烏

四方の義民栂野彦八翁
 寛政年間(一七八九〜一八〇〇)富山藩は 魚市場の制を設け 魚の振り売りを禁じてこ れを厳しく処罰した
 このため、四方町の漁民は生活に困窮して 餓死する者がでた
 当時 四方町民の尊敬を集め 町年寄役を 勤めていた栂野彦八は 粥の炊き出しをする 一方 郡奉行に再三嘆願をした
 しかしながら聞きいれられず 切羽詰まっ た漁民等三百人余が 城下へ向かい直訴しよ うとした そこで彦八は一同を説得し 文化 三年(一八〇六)十二月十九日 単身郡奉行 をたずね 書状を呈して自刃した
 このことが 藩に伝わるや 彦八の心情が くみとられ直ちに禁がとかれ 振り売りが許 された
 四方町民は 彦八翁の徳を慕い 翁の石像 を諏訪の森に建てた 後に神として祀るため 都賀比古神社として四方神社に合祀し 境内 に栂野彦八敬徳碑を建立した
 毎年八月十八日には 祭礼が執り行われて いる

−境内石碑−



四方神社由緒
天正年間以前から、四方西浜辺に六尺四方の小社があったといわれていますが、これが四方神社の起源です。その後、寛永年間能登石動山五社の別当職がこの地に巡回して、社地を定めて社殿を再建し、丁重に奉祀すべき神社であるとさとし、更に領主の命もあって、延宝年間社殿を建立し、石動山(五社権現)の分霊社として創立されたものです。石動山(五社権現)は、山岳修験の行場として、方道仙人が開山したと伝えられ、山頂には伊須流岐比古神社があり、鎌倉中期から江戸末期まで北陸七カ国の修験道場として栄えたと云われています。当四方神社は、創立時は、四方社大宮と称しましたが、明治六年伊須流岐比古神社と改称し、更に明治四十年六月には、四方新村の村社神明社、境内末社都賀比古社等六社を伊須流岐比古神社に合祀して四方神社し改称して今日に至っているのです。現社殿は、昭和十二年に神社財産の勧業債券一等賞金を基に、氏子崇敬者の浄財によって立て替えられたものです。また、祭神の四方建比古神は、文化三年四方町民が、魚のふれ売りを禁じられ困窮の極みにあったので、これを救うため郡奉行に嘆願して切腹した四方町年寄栂野彦八の遺徳をしのび都賀比古神社として、毎年八月十八日に四方踊りを奉納するのが習わしになっています。

−『平成祭データ』−



最終更新日:2013/10/09
【 四方神社 (富山市) 】

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