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香山神社
かごやまじんじゃ
福井県大飯郡高浜町下車持44高森7−1  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴


五三の桐

式内社 若狭國大飯郡 香山神社
旧村社

御祭神
天香山命 配祀 猿田彦命 蛭子命 事代主命

福井県の高浜町にある。
若狭本郷駅の西1Kmほどの高森に鎮座。
おおい町との境界近く、27号線の南の丘が境内。
27号線脇に当社駐車場があり、白い鳥居が建っているが
表参道は27号線に向って北向き。
駐車場からも境内に入れるが、
とりあえず、27号線から階段を上って参拝開始。

鳥居をくぐると参道が南へ続いていくが
参道は、JR線路を越える高架状態で面白い。
電車が来るのをしばらく待ってみたが、
さすがに本数は少ないようなので、あきらめて参拝再開。

参道の先に、石の垣に囲まれた東向きの境内はあり、
境内の社殿は東向き。
ちなみに、この石垣は
本郷小堀の山ノ神古墳群から搬出した石材を使用しているらしい。

境内に向って左右に、同規模の社殿があり、
本社香山神社は右手(北側)の社殿。
左手は、摂社・牛尾神社(天日槍命八王子命)の社殿。
両社の間をつないだ渡り廊下のような場所に、
境内社が並んで祀られている。
祀られている境内社は、右(本社側)から、
夷(恵美須)神社、熊野神社、事平神社、
荒神神社、瘡神神社、稲荷神社。

香山神社・牛尾神社ともに拝殿は無く、
本殿の覆屋の庇が前に延びており、その場所で参拝をする。

創祀年代は不詳。
当社社号「香山」は「カグヤマ」とも「カゴヤマ」とも読まれるらしい。

社伝によると
神武天皇の功臣天香山命を当地方開拓の祖神と仰ぎ、
香山(加来)山の霊地に鎮め給うという。
また、天香山命の後裔・若犬養宿祢の氏人が
養老年間(717〜723)、この地に氏神として奉祀したという。

式内社・香山神社に比定されている神社で
『若狭国神名帳』に「正五位 香子山明神」にある古社。
高森に鎮座しており、高森乃宮とも称される神社。

摂社・牛尾神社は、第十一代垂仁天皇の御代、
渡来帰化した新羅国王子の天日槍命の末裔が
始祖を氏神として、延暦十年(791)頃、当地に創祀したという。
こちらも『若狭国神名帳』に「正五位 杜本明神」にある古社。

暦応元年(1338)、神意によって
丹後国大川十六所大明神、天日八王子御前、
大和国吉野蔵王権現が高森に飛遷し給もうたので、
翌暦応二年、右衛門中尉助教が社殿を改築。
以後、香山神社を下社高森十六所明神社、
牛尾神社を上社高森天日八王子社と称するようになった。
後、明治五年、社号を現社号(香山神社、牛尾神社)に改称した。

ところで、
なぜ、本社・香山神社を下社と呼び、摂社・牛尾神社を上社と呼ぶのだろうか。
香山神社が海側に、牛尾神社が山側にあるからだろうか。

当社の神紋は、三巴紋。
ただし、社殿の屋根には桐紋も付けられていた。
桐紋は、崇敬者(社殿寄進者)の紋かもしれないが、
両紋を掲載しておいた。

ちなみに、摂社・牛尾神社の神紋は桔梗紋。

『平成祭データ』によると、
当社の末社に笠掛神社(手置帆負命彦狹知命大山祇神)があるようだが
境外社のようだ。
また、境内右手にも境内社が一つあるが、社号は未確認。

境内左手(南側、山側)に、二つの祠があり、
鎮守乃神・古奥宮後拝所、大山祇神・神奈備香具山拝所とある。
香具山および香具山に祀られていた奥宮を遥拝する祠だろう。

参拝中、見落としてしまったが
境内西側の林に「鶏塚」があるらしい。
配祀・事代主命
「鶏ノ声聞ユル里ハ、我ガ縁ノ地」と仰られた伝承にちなみ、
当社の神使は鶏で、早朝に参詣して神鶏の声を聞くと「福が授かる」という。


社頭と参道

鳥居

東側駐車場参道の鳥居

参道

JRをまたぐ

左・牛尾神社、中央・境内社、右・香山神社

牛尾神社

香山神社

境内左の拝所

境内右の境内社

延喜式内社
若狭国正五位
香山神社 (通称 高森乃宮)福井県大飯郡高浜町高森七の一 高森(香具)山鎮座
祭 禮春の宮当祭三月十三日 秋の同祭十月八日 例大祭 春季四月二十三日 秋季十月二十八日
祭 神 天香山神(開拓の神) 猿田彦命(道びきの神) 蛭子命(恵毘須の神) 事代主命(福徳の神)
神 徳 古くより高森十六所明神と尊称し「命の神」「福の神」と仰ぎ、交通、治病、招福、厄除、安産、幼児の守護神
由 緒 往昔第一代神武天皇の功臣天香山命を先人達が開拓の祖神と崇め祭祀せしか。又上古天香山命の後裔若犬養宿祢の氏人の 若狭(当地方)に在りて祖神を氏神として加来山(香具山)に創祀したものと推考される。 御鎮座は奈良朝の大宝二年(七〇二)の頃か、 少なくとも天平十三年(七四一)より延暦十二年(七九三)の間の年代と推定され、今より千二百五十年余前の創建ならん。降って平安朝の 延長五年(九二七)の延喜式神名帳に撰上ありしより、正に千五十年の古社なり。  中世暦応元年(一三三八)丹州丹後の 大川十六所明神が当地に飛遷(合祀)すと伝う。 鎌倉室町時代は社領も百五十石あり社運隆昌なりしと云う。 以降 幾度かの造営修補を経て、現在の社殿は江戸時代文化十年(一八一三)造営なり。
伴信友の詠歌 『こもまくら高森山の高々にあふぎて祝ふ神祭りかも』文化元年(一八〇三)の春祭りに参拝の折り詠める。


摂社 牛尾神社(別称 八王子乃宮)
御輿神社(末社)は両神社祭神の荒み魂を祀る(輿車の神)として崇拝す
古儀祭春季三月十三日 秋季十月八日。 例大祭 春季四月二十三日 秋季十月二十八日。
祭 神 天照皇大神八王子乃命 五男の命は天孫降臨の折り力を助け給う神、三女の命は世に云う海上全般の守護神
天日槍命を主神と仰ぎ奉る
由 緒 上古第十一代垂仁天皇の御宇に来朝帰化せる新羅国の皇子天日槍命の族及びその末葉達が当地に在りて祖神を 祭祀せるものならんとも推考され奈良朝の延暦十年(七九一)より以前の御鎮座と伝えられ 今より約千二百余年前と 推定される。其の後太政官符に依り、牛を殺して漢神を祭るを禁止せられしより衰微せしが、中世平安朝の暦応元年 (一三三八)丹州丹後大川天日八王子御前当地に飛遷す依って社殿造営の上遷宮(配祀)すと伝う。
又後世(戦国時代か)対岸の犬見の氏神を移座、即ち当社に合祀せりと伝う。区内の社壇零落し神格失脚の故ならんか、 今も尚犬見の白石に高森屋敷(小丘)有り。 鎌倉室町時代は本社と共に社領も有り隆昌なりしと伝う。
現社殿は本社を同期の江戸時代文化十年(一八一三)の造営なり。

−境内案内板より−



【 香山神社 (高浜町) 】

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