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有礒正八幡宮
ありそしょうはちまんぐう
富山県高岡市横田町3−1−1  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴 十六菊

旧郷社

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御祭神
有礒神 綏靖天皇 応神天皇
配祀
神功皇后 仁徳天皇 武内宿禰
合祀
建御名方命 素戔嗚命 大己貴尊 罔象女神
天照皇大神 石凝姥命 日本武尊 前田利長
安徳天皇 原子八幡大神

富山県高岡市にある。
高岡駅の北東1.5Kmほどの横田町に鎮座。
千保川にかかる横田橋を渡るとすぐ、交差点に面して境内入口がある。
境内は、高山右近の意によって奉納された築城様式の石垣に囲まれている。

境内入口は南向き。入口に木製の鳥居が立ち、
綺麗に刈り込まれた植木を眺めながら進むと、左右にリアルな随神像。
やや伏し目がちな右大臣、左大臣に挨拶して境内に入るともう一つの鳥居。

鳥居の左手には、高岡市指定文化財の神輿が納められた神輿庫。
左手には手水舎「行啓 御用水」。
大正天皇が皇太子時代、高岡行啓のおりに、この水が献上されたらしい。

さらに参道を進むと美しい社殿。
幾重にも屋根を重ねた、いわゆる「八棟造」だが、
当社では日本海の荒波を模した「有礒造」と呼んでいるらしい。

綺麗に維持管理された境内には、親子抱き合いの欅や御神木の欅、
磐座などが点在し、とにかく美しい。
四季折々に違った風景が堪能できそうな、そんな神社。

当社は、有礒神と綏靖天皇を祀る『有礒宮』と
応神天皇外三柱を祀る『横田正八幡宮』の二社が合祀された神社。

有礒宮は大和より移住してきた有礒の民(綏靖天皇を奉斎する人々)が、
渋谷の浜(現在の高岡市雨晴岩崎の沖合い)に勧請奉斎したと伝えられ、
「有礒の海」の守護神として有礒七浦(氷見七浦)の宗社と崇敬された古社。

その後、日本海の荒海による浸蝕が激しく、
渋谷の山中(現在の燈台付近)に遷された後、
高岡の志貴野の山「山崎の丘」(現在の古城公園、小竹藪付近)に遷座。

さらに、前田利長による高岡築城に際し、
慶長九年(1604)、塩蔵下に仮遷座後、慶長十五年(1610)に
川原町地内の横田正八幡宮に合祀され、『有礒神社正八幡宮』と改称された。

横田正八幡宮の創祀年代は不詳だが、
文明年間(十五世紀後半)に上田丹後守が礪波山より勧請したとも伝えられ、
当時は宗泉寺の住職によって奉祀されていたという。
有礒宮との合祀の後、千保川(横田川)氾濫のため、
慶長十七年(1612)上田伊勢守の屋敷地内(現在地)に遷座された。

文化元年(1804)には『有礒神社』と改称。
明治五年郷社に列し、明治十六年本殿を新築して境内末社をすべて合祀、
昭和二十二年『有礒正八幡宮』に復称された。

当社の神紋は三つ巴と菊。
たぶん、綏靖天皇を祀る有礒宮が菊紋で、横田正八幡宮が三つ巴なんだと思う。

明治に合祀されたらしく、境内社は見当たらなかったが、
境外に三つの摂社(天満宮、熊野社、神明社)があるらしい。
『明治神社誌料』によると、八坂社、琴平社が境内社として存在していたようだ。
また同書の祭神の項に、神功皇后(息長武社)、罔象女命(水天宮)とあるので、
これらも境内社だったのかも。

境内に社務所があり、御朱印をお願いするつもりだったが、
社殿後方の本殿が良く見えず、外から見えるんじゃないかと、
いったん外に出て、裏に回って本殿を確認。
そのまま車に戻ってしまって、御朱印を頂戴するのを忘れた。


社頭

境内入口の鳥居

境内の鳥居

随神像・右大臣

随神像・左大臣

境内

神輿庫

行啓 御用水

有礒造の社殿

親子抱き合いの欅

本殿、境外後方から



御神木の欅

社殿から参道


【 有礒正八幡宮 (高岡市) 】

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