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石部神社
いそべじんじゃ
[石川旅行] 石川県小松市古府町カ169  Zenrin Data Com Maps display !!


梅鉢


五七の桐

式内社 加賀國能美郡 石部神社
加賀國一宮
加賀國総社
旧郷社

御祭神
櫛日方別命

大物主神 『加賀國式内等舊記』等

石川県小松市国府にある。
小松駅から東へ5Kmほど。梯川が湾曲しながら東から西へ流れる場所。
360号線の北1Kmの森(船見山)に鎮座している。

北から参道がまっすぐに南下し、突き当たりに、こんもりとした森。
鳥居をくぐって、緩やかに登った参道を歩き、
左折した正面に社殿。ということで社殿は西向き。

創祀年代は不詳。
加賀国府の南に鎮座していることから府南社とも呼ばれた神社。

『白山之記』によれば、「府南加賀立國之時始奉祀云々」とあり、
加賀国が越前から分割された、弘仁14年(823)3月頃の創建という説がある。

加賀国一宮とも考えられていた時期があり、
白山社との間で、一宮論争が起ったという。
また、当社を加賀惣社とみる説もある。

近世になり、船見山王明神ともよばれていたが、
「船見」は、府南の訛り、「山王」は大物主神が祭神と考えられたことによる。
現在の祭神は、櫛日方別命だが、大物主神とする説も有力。
姓氏録には、「石邊公大物主命子久斯比賀多命後也」とあり、
石辺氏の祖神を祀ったとも考えられる。

鎮座地である船見山は、川の湾曲部に位置しており、
前方後円墳と推測されているが、川が近すぎるのではないだろうか。

境内入口には、由緒を記した石碑があり、石碑には桐紋がついていたが、
境内の神馬像には梅鉢紋がついていた。


社域の森

境内入口

鳥居

鳥居と社号標

参道階段

境内

境内

神馬像

拝殿

拝殿

背の高い本殿

石部神社由緒
 主祭神 櫛日方別命(くしひかたわけのみこと)
 例祭日 三月十七日・九月十七日
 今を去る千百六十余年前の弘仁十四年(八二三) 三月越前国から分かれて加賀国ができた。そ の府庁のあった所がこの近くである。その南 に当社がすでに祀られていたと伝えられる。 府の南にあったので府南社とも称え、この地 を府南山と号した。当時国司は、毎月一日に 加賀の主な神社八社を廻り参詣した。やがて 当社を加賀国総社とし、ここを参拝すること によって八社を廻るのに代えた。当時の当社 の隆盛と規模の雄大さは、加賀国第一であっ たといわれている。
 延喜年間(九〇四)に「式内社」に列せられ、 神名帳に登録されている。安元二年(一一七六)に 国司と白山衆徒との争乱による涌泉寺事件に 関係して、神社は大きな被害をうけた。その 後往年の盛況はなく、応永二十八年(一四二一)の 足利義持判書に「南禅寺領加賀国府南社御供 田云々」とある如く、南禅寺と所領争いもあ った。
 慶長五年(一六〇〇)小松城主丹羽長重は、社殿 を修理し宝物を納められた。加賀三代藩主前 田利常は厚く当社を尊信し、歴代藩主もまた 厚く敬い奉幣した。明治五年八月、郷社に列 せられた。明治三十九年十二月神饌幣帛料供 進社に指定された。現拝殿は昭和六年三月、 神殿は昭和三十七年三月に造営された。
 幾年月の間に栄枯盛衰はくり返された。今 は盛時の面影はないが、付近に残る数々の遺 跡や田地名に、往年の状況を偲ぶことができ る。どんなに変ろうと常に当社に敬神の誠を 捧げ、お仕えしてきたのはこの国府(こう)の人 達である。神もまたとこしえに私達をお守り になっている。

−社頭案内−



最終更新日:2013/10/09
【 石部神社 (古府町) 】

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