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御田神社
みたじんじゃ
富山県氷見市仏生寺496  Zenrin Data Com Maps display !!

『富山県神社誌』より

三つ巴

拝殿屋根より

ひとつ槌

式外社 御田神
旧郷社

御祭神
誉田別命 御年大神 大年大神
伊邪那岐大神 天児屋根命 伊邪那美大神

富山県氷見市にある。
氷見駅の南西9Kmほどの仏生寺に鎮座。
仏生寺川に沿って走る296号線に面して南向きに境内入口があり、
参道の車止めの側に「國史所載社 御田神社」と刻まれた社号標。
参道の中ほどに木製の両部鳥居が建っている。

参道を進み、階段を登ると社殿のある境内。
周囲を鬱蒼と茂る木々に囲まれた静かな神域。
境内左手に手水舎があり、参道正面にガラス張りの拝殿。
拝殿は瓦葺入母屋造平入で、拝殿背後の本殿は覆屋の中。

拝殿の右手に神庫らしき社殿があるが、
拝殿と神庫の間に三角形の屋根のようなものがある。
下部には車輪が付けられていて移動できるようだが、
これはなんだろう。
ひょっとすると冬の雪の時に拝殿前に設置する雪除けだろうか。

創祀年代は不詳。
『三代実録』に貞観九年(867)十月五日、
「越中國從五位下御田神等並從五位上」とある、
国史現在社である式外古社。

なお社伝では、仁寿元年(851)正月の
「天下諸神。不論有位無位。叙正六位上」を
当社神階の最初だとしている。

その後、元慶三年(879)二月八日、「正五位下」に神階を上げ、
文治元年(1185)三月三日、「正四位上」を授けられ、
当時の社地は東西八町におよび全山古樹に覆われていたという。

建長年間、境内に仏生寺を建て、当社を白山大権現と称したが、
元弘以後戦乱のために伽藍を焼失。
天文年間、新蔵人綱織の祈願所として再興された。

古来、皇室・武門の崇敬篤く、飯久保城主・狩野中司卿が
当社にて雨乞祈願をし、霊験があったという。

祭神は「御田」の社号から大年神御年神だと思われ、
『富山県神社誌』にも、そのように記されているが、
『平成祭データ』には、誉田別命が主神と記されている。
確認していないが、いつの頃か八幡宮と考えられていた時期があったのだろうか。

昭和十七年十月二十七日、郷社に列した。

『全国神社名鑑』には当社の神紋は三つ巴紋とある、
誉田別命を主神とするなら、八幡の紋である三つ巴もうなずける。

ただし、拝殿の屋根には鎚紋らしきものが付けられていた。
また、『富山県神社誌』に載っている写真では
拝殿の幕には三つ柏か三つ星のような紋が染められているが
小さくてよくわからない。


社頭

鳥居

参道

境内

本殿

拝殿

境内

境内左、春日社か

拝殿右手、なんだこれ

御田神社の由緒歴史
 御田神社は 今を去る事 千五百年以前の 御建造 御創立の神社にして 古代より歴代 天皇の崇敬 武門武将の崇敬 氏子の信仰は 勿論である。
 歴代天皇の崇敬としては 神階と幣帛を賜 わり 武門武将の崇敬としては 社殿造営  社地の寄進 飯久保城主 狩野中司卿 本社 を崇敬して 雨乞祈願をなされ めぐみの雨 が降ったので 一大感謝祭を執行後 青年相撲 を奉納 今日まで続きたり
 氏神様の御神徳は 世界平和と人類の幸福 家内安全で 無病息災と五穀豊穣も お守り 下される 大神様である

−参道由緒書き−



【 御田神社 (氷見市) 】

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