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多祁伊奈太岐佐耶布都神社
たけのいなたきさやふつじんじゃ
広島県福山市山野町上原谷262
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広島県福山市にある。
JR福山駅から北へ25Kmほどの山野町上原谷に鎮座。
313号線・182号線・21号線と北上し、
山野町で小田川に沿って、3Kmほど北西へ。
さらに矢川に沿って南西へ2Km進むと、当社参道入口に到着。
入口右手に案内板があり、階段上に鳥居。
そこから300mほどの参道を登って行く。
参拝日は、年末の寒い日。
参道には雪が残っており、少し凍っていたので注意しながら歩く。
途中まではコンクリートの道だが、途中から土の道。
しばらく歩くと、大きな岩の塊が見えてくる。
階段を登ると、目の前に30mほどの巨石。
下の部分が洞穴になっており、社殿が祀られている。
創祀年代は不詳。
古代、当社の東にある馬乗山を拝する祭壇が
岩穴内に設けられ、社殿が建立されてもの。
岩屋権現、原田巌窟権現、原田権現、岩穴大権現、
巌窟権現、磐穴宮、岩穴宮などと呼称される古社であり、
式内社・多祁伊奈太伎佐耶布都神社と考えられている神社である。
多祁伊奈太伎佐耶布都神社とは、
「多祁」「伊奈太」「伎」「佐耶」「布都」の神社と解され、
「武けき伊奈太氏の木鞘の剣」「武けき伊奈太氏の佐耶布都」と考えられている。
つまり、伊奈太氏(稲田氏)の剣を祀った神社。
出雲斐伊川上流を拠点とした、鍛冶氏族である稲田氏が
砂鉄へを求めて山陽側の小田川流域へ進出してきたものと思われる。
その意味では、当社祭神は、素盞嗚尊と奇稲田姫命であると想像できるが、
当社案内では、主祭神は、下道国造兄彦命。
下道国造兄彦命に関しては、下記の案内文を参照。
洞穴といっても入口はかなり広く、高さはそれほどでもない。
上を見ると鍾乳石のようなものも。
奥に、かなり狭い穴が続いているようだが
一人で入る勇気はない。
ひょっとすると、それほど奥行きはないかも。
開口部が広くて、洞窟というより、岩の庇といった印象なのだが、
中央に座って、外を眺めていると、ずっと棲み付いていたくなる空間。
参道入口 | 鳥居 |
天然記念物の巨大礫 |
下部に洞窟 |
社殿 | 社殿 |
参道 |
−参道入口案内板より(原文のまま)− 岩穴宮 (天然記念物巨大礫)
本社は延喜式内社にして、俗に岩穴宮
と呼ばれ、神社名は多祁伊奈太伎佐
耶布都神社と云ふ。大古素盞嗚尊が八岐の大蛇を斬り給ひし時、用ひ
たる剣を祠ったのが神社の始りと云。
祭神は素盞嗚尊、奇稲田姫命。
後、日本武尊が穴海の海賊を討ち
追って当岩穴附近に於て平定されし
故に同尊を合祠してある。摂社赤濱
宮は稲田宿祢命を祭神とす。
此の洞窟全体が巨大礫であることが広大
の楠見、今村両教授により発見された。−社前案内板より(原文のまま)− 上原谷石灰岩巨大礫 広島県天然記念物
赤色の凝灰岩質礫岩の上に、驚異に値する巨大な石灰岩塊
(高さ30m、幅33m、奥行35m以上)があり、この岩塊の下部
はほら穴となり、天井から鍾乳石が垂れ、下から石筍も成長
しています。このような巨大礫がここに存在するのは、この
上の穴迫に移動してきた石灰岩の地塊の一部が崩壊し転落し
たものであろうと推定されています。ほら穴には、多祁伊奈太岐佐耶布都神社(岩屋権現)が祀ら れており、原始信仰の名残りをとどめています。 −社前案内板より− |