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大山神社
おおやまじんじゃ
島根県隠岐郡西ノ島町美田174
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式内社 隠岐國知夫郡 大山神社 |
隠岐島前、西の島の中心当り、美田にある。
社前の道路は新しく、広くなっている。
南に行くと焼火神社のある焼火山がある。
境内は狭いが、社殿には趣を感じる。
創祀年代は不詳。
式内社・大山神社の論社。
背後の焼火山は、古くは大山といい、当社の神奈備であった。
昔は、現在地の奥、宮谷に鎮祭されていたらしいが、
山麓の現在地に社殿を造営したのは平安初期と伝えられている。
その後、修験道によって焼火山信仰が広まり、
当社と大山との関係は希薄になり、
現在は当地区の氏神として、明治五年村社に列した。
拝殿の瓦には、「大」の字が付いていたが、
神紋のようには見えない。
式内社調査報告には「左三つ巴」とあった。
その記事を書いたのが、この社の宮司を兼ねている松浦氏なので、
「左三つ巴」が正しいのだろう。
境内入口 |
境内 |
拝殿 | 境内社 |
拝殿 | 本殿 |
當社の由緒は、前記燒火山上に鎭まります燒火
神社の由緒と密接に關連する。いふところの燒火神社は、
もともと燒火権現と稱し、その境域の全體は雲上寺と號し
て、明治の神佛分離まで、専ら修験系の所謂社僧がこれを
奉斎してゐた。「燒火権現縁起」によるとその発端は、「昔
一條院之御宇某年、海中有光數夜、一夕飛而入此山、村人
尾迹蹐跼而登、忽見一岩之獨立、其形如薩陀」となってゐ
るが、けだしこれはもともと此の山が、大山の神の鎭
まります聖山であったからに外なるまい。前記の縁起にも
「斯山往昔稱大山也」とある如く、もともと此處は燒火山
では無く大山であつて、恐らく古くは、この山の全體が山の
神のいはば神名備であつたと思われる。(略) 近世まで降ると、も早や大山の神とは燒火明神のことな りといふ認識まで生ずるやうになる。(略) かくて明治維新に至るが、維新に至ると神佛分離 令が出た事によつて、燒火権現は大山明神と離れ、かつ燒 火神社として再生し、大山明神は式に據つた大山神社の昔 に返り、この地區の氏神として明治五年村社に列せられた。 −『式内社調査報告』− |
【 大山神社 (美田) 】