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久良彌神社
くらみじんじゃ
島根県松江市新庄町994

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式内社 出雲國嶋根郡 久良弥神社 |
島根県松江市。
中海に面した新庄町にある。田畑の奥に鎮座。
中海沿いの車道からは見えない位置にある。
車道から、東へ延びる参道の突き当り。
創祀年代は不詳。
式内社・久良弥神社に比定される古社で、
同じく式内社である同社坐波夜都武自別神社を合祀する神社。
出雲国風土記では「久良彌社」と「同波夜都武志社」と記されている。
波夜都武自別神社は、文徳実録に仁寿元年九月、
従五位下を授けられたとあるが
久良彌神社への合祀の時期はわからない。
鎮座地は、嵩山の東北麓にあたり、
古社地は、嵩山の中腹、当社から南西へ1Km程の椋見谷。
ただし『神国島根』では、配祀の都留支日子神が、
椋見谷の椋見神社祭神であったと記されており、混同があるようだ。
椋見神社は、出雲国風土記記載の「椋見社」である。
祭神は明確ではない。
明治の『神社明細帳』では豊受媛神とあり、『雲陽誌』では倉稲魂神。
これは、「クラミ」という社名を「倉稲」と解釈したものだろう。
現在、祭神とされている闇於加美神や、『神名帳考證』の闇御津羽神は、
同所に祀られている速都牟自別神が風神であることに対し、水神としたもの。
明治四十五年、日御碕社(素盞鳴尊)、諏訪神社(建御名方命)を合祀した。
あまり広くはなく、こじんまりとした印象。
日没間近のせいか、やや暗い。
周囲は田畑で、農作業をしていた地元の方に聞いて辿り着く。
逆光の社頭 |
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鳥居 ![]() | 拝殿 ![]() |
鳥居から境内 |
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境内社 ![]() | 本殿 ![]() | 本殿 ![]() |
久良弥神社 旧郷社 松江市新庄町 祭神 速都牟自別神 都留伎日子神 他三柱 例祭 一○月一七日 本殿 春日造二坪 境内 八一七坪 末杜 一社 氏子 九九戸 由緒沿革 延喜式神名帳に久良弥神社、出雲風土記に久良弥社と見え、風土記に同社波夜都武志別の社と竝書されている。文徳実録に仁寿元年出雲国速都牟自別神に従五位下を授くとある。合祭都留伎日子神は此地開拓の祖神に坐し、武男絶倫を以てその名をツルギに負わせ給い、椋見国の氏神であった。其後醍醐天皇隠岐へ御遷幸の折、本社に海上安全を祈らせ給う為め勅使を御差遣になったと伝える。松江城主松平侯の崇敬厚く、綱隆侯は本社を造営せられた。明治五年郷社に列す。 −『神社名鑑』− |
