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鳥屋神社
とやじんじゃ
島根県出雲市斐川町鳥井815
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式内社 出雲國出雲郡 鳥屋神社 |
直江駅の北西、
斐伊川のそばの田畑の中にオアシスのように存在する。
なんとなく明るい印象で良い。
『式内社調査報告』にある昔の写真と比べると、
境内の木々は少なくなっている。
創祀年代は不詳。
式内社・鳥屋神社に比定される古社で、
出雲国風土記に「鳥屋社」とある神社。
通称は、出雲国諏訪大明神。
諏訪明神と言われていたものに、他の神々が合祀されたようだ。
社名の「鳥屋」は、鵠(くぐい)の巣があったからだという。
社伝には「垂仁天皇の皇子誉津別命また湯河桁命をも斎奉りて、
鵠鳥を捕えしめ玉ひし時の古跡なり」とある。
拝殿内は非常に綺麗だった。
境内には社日が新旧二本建っている。
鳥居 | 拝殿 |
本殿 |
疫神大神 | 龍王大神 | 伊勢大神 |
稲荷大神 | 新しい社日 | 古い社日 |
境内から参道、奥の車は当時の愛車 |
創立年代は詳らかでないが、前述の『雲陽誌』
鳥屋神社の項に「(前略)寛永年中建立の棟札ばかりなり」
とある如く、寛永以前のこの地は斐伊川東流の分岐点にあ
たり、数度の氾濫によって当社の変遷も大きかったと想像
される。同神社の棟札を見ても、再興と記された棟札が寛
永二年(一六二五)、慶安三年(一六五〇)、寛文二年(一
六六一)、享保十一年(一七一六)、宝暦十年(一七五一)、
安永五年(一七七六)、寛政五年(一七八九)と七回を数
えられるのもこれを物語るものと考えられる。 祭神建御名方命は天孫降臨に際して国土の奉献に反対し て敗れ、科野に鎮まったと古事記が伝える神であり、父は 大国主神、母は古事記によれば高志の沼河姫で、諏訪大社 の祭神であるが、出雲国風土記には神名は見られず、北 陸・信濃に勢力をもった出雲系の神とされている。 この地一帯は記紀に見る国譲りの舞台であるため、出雲 帰属神話で活躍するこの神がこの地の守護神として祀られ たものかと考えられる。 −『式内社調査報告』− |
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