[HOME] > [神社記憶] > [中国地方] > |
|
八幡神社
はちまんじんじゃ
広島県福山市駅家町上山守1183
|
||
御祭神 |
広島県福山市にある。
福塩線・駅家駅の南3Kmほどの駅家町上山守にある。
芦田川にかかる山守橋を南に越えてすぐの場所。
社域の丘の上が境内。境内入口は広場のようになっている。
その広場に、「式内多理比理神社」と刻まれた社号標。
境内入口を示す石柱の奥に、参道な階段があり、
階段を登ると、鳥居と神門。
神門をくぐると、整備された境内があり、中央に社殿。
旧称は、当島八幡宮。
現在は八幡神社と称している神社であり
上下山守・今岡・大橋・近田・戸手・向永谷・
新山・中島・倉光・江良・坊寺など十二ヶ村の惣産社。
社伝によると、
大同二年(807)、土肥氏によって姫居山へ再建。
ただし、土肥氏は中世以降に入府した地頭なので、
誤伝であろうと思われる。
『水野記』によると、
天平勝宝元年(749)、神宮寺とともに建立。
延元元年(1336)山守惣宮大夫によって持山谷山へ移転したという。
相殿に祀られる多比理岐志麻流美神は、
葦那陀迦神の曾孫にあたり、式内社・多理比理神社の祭神。
多理比理神社は、建武年間まで、字小丸神山に鎮座していたが
社殿大破により、延元元年、当社・八幡神社に合祀されたという。
他の説では、当社・八幡神社こそが多理比理神社であるとも、
あるいは、多理比理神社の鎮座地に、当社・八幡神社が遷座したとも。
境内の左手に、境内社の祠が並んでおり、
福山市街地を見渡すロケーション。
社殿の左手には、境内社の三神神社。
広島県神社誌には、三社神社と書かれていたが、
社殿には、三神神社の名が記されていた。
さらに、境内背後が広場というか公園のようになっており、
本殿のすぐ後に、石の祠。
公園の脇には、幾つかの石碑が並んでいた。
残念ながら、これらの詳細については不明。
社域(東側) |
多理比理神社社号標 | 境内入口 | 参道 |
階段上に鳥居 | 神門 |
境内 |
拝殿 | 境内社 |
本殿 | 拝殿 |
本殿背後の石祠 | 石碑 |