![]() |
|
|
多加牟久神社
たかむくじんじゃ
鳥取県鳥取市河原町本鹿字上ノ山387

|
||
鳥取県鳥取市にある。
JR河原駅の西5Kmの本鹿に鎮座。
場所が説明しにくいのだが、千代川を越えて、さらに西へ進み、
本鹿あたりで南下する小道に入り、登って行くと、
当社境内の裏側にある鳥居に到着する。
車では裏参道を登ってくることになるので、
一度境内に入り、表参道を逆行してみた。
細く長い石の階段を降りていくと、小さな鳥居があった。
ということで、そこから参拝開始。
このように、表参道の鳥居からでないと参拝した気になれないのは
悲しい性。
表参道の鳥居が、あまりに遠ければ、なかったことにする場合もあるが。
で、さきほど降ってきた、雰囲気のある階段を登ると、正面に社殿。
伝承によると、景行天皇の御代、
熊襲叛乱の鎮圧に出発した武内宿禰が、播磨まで来た時に、
播磨の住民が「因州金屋の洗足山に賊がいるので退治して欲しい」と懇願。
その願いを聞き入れ、部下の多加牟久命に一軍を与えて
因幡へ向かわせた。
因幡へ到着し、無事に賊を平らげた多加牟久命は、
当地が、遠祖・大己貴命ゆかりの場所であると知り、
祖先の大己貴命を祀って、当地に土着したという。
また、他説では、
多加牟久命を武牟口命とし、武内宿禰を日本武尊と
なっている場合があるが、話の内容は同じ。
このような経緯から、本来の祭神は、
大己貴命と多加牟久命の二座であったと思われる。
当社は、もとは高尾山にあったらしいが、
天正九年(1581)秀吉の鳥取城攻略の際に兵火に焼かれ、
本鹿地区の麓に遷座。
その後、本鹿地区で洪水がおこり、住民は山の中腹に移住したが、
神社が下方にあるのは不敬であるとして、元禄二年(1689)
現在のように、山の上に遷座したという。
拝殿に、亀甲の中に『夛』の字の彫刻があった。
多分これが神紋だと思う。『夛』は『多』と同じ。
鳥居 ![]() | 参道 ![]() | 参道 ![]() |
境内 ![]() | 社殿に神紋 ![]() |
社殿 |
![]() |
本殿 ![]() | 拝殿扁額 ![]() | 本殿 ![]() |
【 多加牟久神社 (鳥取市) 】
