[HOME] > [神社記憶] > [中国地方] > |
|
大江神社
おおえじんじゃ
鳥取県八頭郡八頭町橋本734
|
||
式内社 因幡國八上郡 大江神社三座 |
鳥取県八頭町(旧船岡町)にある。
因幡船岡駅から、大江川に沿って南へ4Kmの橋本に鎮座。
道路の西側に社号標があり、参道を西へ。
鳥居をくぐると、木々が豊富な境内。
門神の間を歩くと、正面に社殿がある。
参拝が夕方近くになり、西陽が東向きの社殿の上に射す。
もう少し遅くなると、社殿は完全なシルエットになるのだが、
この高さだと、まるで光のシャワーを浴びているようだ。
創祀年代は不詳。
鎮座地の名は、昔、財原村といい、
財原大明神とも呼ばれていた神社。
以前は大江川の東側にあったが、戦乱により西側へ移動。
現社地のすぐ上に遷座したという。
因幡国二宮で、明治以降、多くの神々を合祀しているが、
本来の祭神は三座。
延喜式にも、「大江三座」と記されている。
元禄年間、大江神社と改称し、
明治元年、境内社三十五社(祭神五十二柱)を合祀。
明治五年、郷社に列した。
また、大正五年、水口神社、下野神社、坂田神社、殿村神社を合祀した。
神紋は、カタバミ紋。
家紋としてはよくある文様なのだが、
ひょっとすると、「大江三座」、三柱の神を表現する
三つ葉紋なのかもしれない。
(根拠はない、ただの私見です。)
社号標 | 鳥居 | 境内 |
社殿 |
本殿 | 参道 |
八五九年(貞観元)に因幡国主大江氏雅が また九二七年(延長五)に因幡国主 大江貞基も社殿を再建している。 順徳天皇の頃(一二一一〜一二二二年) 「正一位大権現」に進み因幡守大江広元の 氏神となり崇敬された。明治の初年頃大蔵省 書記官大江卓が来社、横額を上げている。 一八七二年(明治五)郷社の社格を綬け現在の 社殿は一九一八年(大正七)の改築である。 −社前案内板− |