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天佐志比古命神社
あまさしひこのみことじんじゃ
島根県隠岐郡知夫村宇都1018
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式内社 隠岐國知夫郡 天佐志比古命神社 |
隠岐島前、知夫里島の南、知夫漁港に面した知夫里(ちぶり)にある。
昔は、本土からの入口だった所。
最近まで、本土からの定期便が入航していたが、
今は、島の北側の来居港から約1Kmの陸路のみ。
通称、一宮神社(いっく)という。
これは、知夫里島の一宮という意味だろう。
隔年で歌舞伎奉納が行われるらしい。
本殿は非常に美しい形だ。隠岐造か。
鳥居の額には「一宮神社」。
社伝によると、
祭神は、用明天皇の御代、新府利の沖の中島(神島)に出現し、
中島に五十九年坐した後、
孝徳天皇白雉四年八月、新府利東浜詰岩石に上陸したという。
初めは、新府利(仁夫里)の里に鎮座していたが
万治二年十月、現在地に遷座。
式内社・天佐志比古命神社に比定されている神社で、
『続日本紀』に仁明天皇承和十五年(848)、
従五位下を叙されたとある古社。
社頭 |
鳥居 | 鳥居 |
境内 |
拝殿 | 拝殿扁額 |
入口脇の社 | 本殿 | 社殿から港 |
隠岐島前指定文化財 天佐志比古命神社 (一宮神社)の芝居小屋 江戸時代の明和年間、知夫湾に鯨の 漂着があり、その後折り悪く火災や疫 病の流行が続いた。このように凶事が 続くのは鯨が神慮を汚した為であると され、神慮を慰める方法として少年の 手踊りを奉納しそれが毎年恒例の神事 の中に組み込まれたのが始まりである。 寛政年間に入り演技的な進歩が見ら れ、文政に入ると京都の流入僧速了法 師の指導により歌舞伎の要素が入り、 明治時代になると本格的に村民による 歌舞伎奉納が行われ現在に続いている。 野外観覧席の廻り舞台を持つ芝居小 屋は本村と淡路島の文楽の二ヶ所のみ が存在する貴重なもので、近年建て替 えられはしたが旧態を残しており、隠 岐島前の文化財に指定されている。 芝居奉納は天佐志比古命神社例大祭 に併せて隔年七月二十四日・二十五日 の両日夜行われる。 −境内案内より− |
【 天佐志比古命神社 】