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備中国總社
そうじゃ
岡山県総社市総社2−18−1

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備中國総社 |
岡山県総社市にある。
東総社駅の西南300mの総社に鎮座。
180号線の南側にあるが、
境内入口は南側にあるので、律儀に鳥居から参拝する場合は、
少し歩かなければならない。200mほどはあるだろうか。
境内入口参道は東側にもあり、総社社殿正面は東向きだから、
東側参道が表参道なのかもしれない。
で、鳥居をくぐり参道を歩くと、
廊下というか、屋根のある参道になる。
右手に広い池があり、池中の島にも祠が祀られている。
当社祭神は、大名持命・須世理姫命と神祇官斎祀八柱神。
さらに、備中国内官社18社とその他の社286社の祭神を祀っており、
備中国の総社。別称、総社宮とも総社大明神とも崇められてきた古社。
鎮座地の総社市の起源でもある神社。
例祭日は10月18日・19日で、
宵宮には、末社の神々を含めた324盤の神供を奉献するという。
沼田神社・社号標 ![]() | 鳥居 ![]() | 総社神社・社号標 ![]() |
参道 ![]() | 社殿 ![]() |
境内 |
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拝殿 ![]() | 拝殿 ![]() |
本殿 ![]() | 本殿 ![]() |
参道右手の池(沼田池)のそばに、式内社・沼田神社と天満宮。
境内社・沼田神社は、式内社・野俣神社の論社。
現在は、沼田天神とも呼ばれ、菅原道真を祀る天満宮と
一緒に祀られている。
もし当社が式内社であるとすると、
本体である総社よりも先に鎮座していたことになる。
沼田神社 |
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天満宮と同殿 |
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社殿 ![]() | 右に笑主(えびす)社 ![]() |
境内には多くの境内社が祀られている。
確認したものは、祇園神社・池上鎮守・稲荷神社・木野山神社・
寄宮・大神神社・荒神社・清正公神社・和霊神社・琴平神社・
笑主神社・厳島神社。
他にもあったと思うが、社名は確認していない。
で、祭神が「末社の神々を含めた324」というのは
数が合わないのではないだろうか。
本殿脇の寄宮 ![]() | 祇園神社 ![]() |
木野上神社 ![]() | 稲荷神社 ![]() | 池上鎮守 ![]() |
厳島神社 ![]() | 大神神社 ![]() | 荒神社 ![]() |
琴平神社 ![]() | 和霊神社 ![]() | 清正公神社 ![]() |
総社の由来
総社は初め、仁徳天皇(313年−399年)の皇妃八田皇女の名代として八田部(八部)と呼ばれ、その後大化の改新(645年)によって吉備国の国が備前(和銅六年に美作国が分かれてできる。)備中国の国府が総社市金井戸に置かれ、国司が中心となって祭政一致の政治が行われていた。その後平安末期になると、国司の力が弱まって国内の豪族の勢力が強くなつたので国司が毎年国中の312社(末社を合わせると324社)を巡拝する事が困難となり、そのうえ巡拝の煩わしさを避けるため、国府の近くに社を建てて神々を合祀下ので、この社を総社と呼んだ。戦国時代ごろになってから総社を総社宮とか総社大明神と呼ぶようになり社の総社が地名として呼ばれるようになって八田部村の枝村として総社村となった。以後明治八年に八田部村が消えて、総社村となり続いて村の発展とともに総社町となり昭和28年に施行された町村合併促進法によって昭和29年3月31日近郷の村村と合併して総社市となった。総社 旧県社 主祭神 大名持命(大国主命)須世理姫命相殿神祇官斎戸八柱神備中国大小神祇304社の神々 例祭 10月第3日曜 :境内地 5.764坪 主要建物 本殿 祝詞殿、拝殿、前殿、神餞所 絵馬殿 回廊神輿庫 社務所 摂末社 沼田神社 大神神社 古祀末社12社 氏子数2.000戸 由緒沿革 創建年月日不詳。大化年間の創建で備中国の総社である備中国内大小神祇官社田社304社の神祇を奉斎してある。10月の例祭にはこの304社外に相殿八柱神と末社12社を合わせて324盤の神餞奉献する古例が存続している。天正年間まで神領があった。天正10年兵火で焼失し、慶長13年再健し貞亨4年に改築した。明治5年11月に県社に列格した。 −『平成祭データ』− |
