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加多神社
かたじんじゃ
島根県雲南市大東町大東字宮山362
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JR出雲大東駅の西1Kmほど。
東西に流れる赤川の北、大東高校グラウンドの裏にある。
赤川からグラウンド横の参道を北に進み、
階段を上ると境内。
境内裏手の山は開発整備され、きれいになっていた。
創祀年代は不詳。
式内社・加多神社に比定された古社。
『出雲國風土記』所載の加多社である。
グラウンド造成工事の際には多くの土師器や
勾玉などが出土した、古墳時代の遺跡に鎮座している。
神門の案内板では、祭神・少彦名命に関する事蹟が記され、
医術の神としての神徳が紹介されている。
「医術」と「加多」という組み合わせから、
僕は、中国三国時代の医者・華陀(かだ)を連想する。
日本では卑弥呼の時代だろうか。
大麻から作った麻酔薬を用いて外科手術を行った中国の名医だ。
案内には、「加多」は神田の変化だろうと記されている。
明治四年、郷社に列せられ、
県社昇格運動の結果、社務所改築を条件に
昇格が認められるが、戦争により実現しなかった。
社殿後方に「護符井戸」がある。
霊水が湧き出る井戸だが、長らく埋没していたが
境内整備で出現した。
境内社が幾つかあるが、社名は調べていない。
『神国島根』には、猿田彦神社、社日神社、綾部神社、
鷺神社、厳島神社、素鵞神社、三日市恵美須神社、
六日市恵美須神社、金刀比羅神社、総荒神社の名が記されている。
参道入口 |
鳥居 | 神門 |
境内 |
社殿 | 境内社 |
本殿 |
境内社 | 護符井戸 | 境内社 |
氏神 加多神社について
少彦名命は高皇産霊神の子どもさまで、はじめ高天の原よりお下りに なり、常世の国(南方の外国)においでになったが、後、我が国においでになり 大国主命と兄弟の約束をし、共に力を合せ心を一つにして天下を 経営なされ、人民や畜産のために、医療の法をお定められ、また 鳥獣昆虫の災をはらうために禁厭の法をもお定めになった 我が国の医術を学ぶ者もまた大国主命とあわせてこの二神を祖 神としている。かくて大国主命の国をおさめる仕事がようやく見通し がつくようになって少彦名命に語って「吾、子と造る所の国は善く 成れりと謂うべきかな」とおっしゃった すると少彦名命は「或は成れるところもあり、或は成らざる 所もあり」とお答えになったそうである。この言葉にはまことに 深い意味が含まれているといわれる。少彦名命は再び常 世国にお渡りになった 神社の起源 記録がないため明らかでないが、少彦名命はこの地を根拠 地として農耕医療等を教導された。その神徳を敬慕し 古代より斎祀せられたものである 社格 元郷社(明治四年より) 大正十五年内務省より社務所改築実施の上は県社に昇 格の許可の旨通牒を受けている 昭和五十年より特別神社に指定される 祭礼日
−案内板より− |
【 加多神社 】