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廣幡八幡宮
ひろはたはちまんぐう
岡山県岡山市南区阿津2104

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岡山県岡山市にある。
岡山駅の南東16Kmほどの阿津に鎮座。
旭川に沿って南下し新岡山港、児島湾にかかる児島湾大橋を渡る。
宮浦に入って74号線を東へ4・5Kmほど。
阿津公会堂付近で南に入る。
参道を進むと鳥居があり、階段の上に神門。
神門の奥、さらに階段を上ると境内。
海沿いの集落の後方、丘の上に北向きの境内がある。
参拝は正月元旦の午後で、ちょうど太陽が南にある時刻。
参道や境内が北向きのため、参拝者には逆光となる状態。
鳥居や参道、境内の写真が陰になってしまって真黒だ。
境内奥に拝殿があり、拝殿の後方、
一段高い場所に流造の本殿。
本殿の右手に稲荷社があり、左手にも境内社が祀られている。
当社境内には多くの境内社や石祠が祀られているが
各社の名前や詳細が判らないので、写真の掲載は割愛した。
ほとんどが陰で黒くなっているか、コントラストが強すぎて、
写真として見苦しいというのが本当の理由。
正月だからか、拝殿左手にある社務所の前にはミカンが置かれていた。
自由に取ってもかまわないのだろうか。
境内社の各社殿の前にはプラケースが置かれていて
小銭や米粒が入れられていた。
社伝によると、嘉慶元年(1387)十月、
田土浦の安の津比良山(平山)の東に創建され、
田土浦神社、あるいは水母八幡宮と称されたという。
『式内社調査報告』には、
式内社・田土浦坐神社の論社として紹介されているが
上記のように、社伝では南北朝時代の創祀とされ
式内社である根拠は薄いようだ。
その後、寛永九年(1632)二月、
現在地の宮山に遷座し、六月に廣幡八幡宮と改称。
宮浦、阿津、小串の産土神として崇敬された。
寛文六年(1666)五月に備前藩の神佛分離にあたり、
同年七年三月に京都神道管領吉田家の社印を受けて、
石清水八幡宮の神霊を勧請したという。
拝殿の屋根に八幡宮の神紋である三巴が付いていたが
拝殿の幕には桐の紋が染められていた。
岡山には桐紋を使用する神社が多いので、当社の神紋かどうかはわからない。
鳥居 ![]() | 参道と神門 ![]() |
神門 ![]() | 参道 ![]() |
逆光の境内 |
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拝殿、社務所にミカン ![]() | 本殿 ![]() |
本殿左手の境内社 ![]() | 本殿右手の稲荷社 ![]() |
当廣幡八幡宮は、嘉慶元年(一三八七年)十月に創建され田土浦の安の津 比良山(平山)の東を鎮座地として田土浦神社、または 水母八幡宮と称された。寛永九年(一六三二年)二月に現在の宮山に遷り、同年六月に廣幡八幡宮と改称され、宮浦、阿津、小串の産土神として祭祀された。寛文六年(一六六六年)五月に備前藩が神佛習合の祭祀を分離するにあたり、同七年三月に京都神道管領吉田家の社印を受け、石清水八幡宮の神霊を勧請した。
−『平成祭データ』− |
