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國司神社
くにしじんじゃ
島根県松江市西長江町512

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旧村社 |
宍道湖の北、松江から平田へ向かう広域農道の
西長江あたりで、川沿いに北上する道の西側にある。
川を遡ると、経塚山(315m)。
経塚山の古称は、足日山という。
道路わきの鳥居から、参道の急な階段を上ると神門。
神門をくぐると境内がある。
創祀年代は不詳だが、出雲大社からの勧請と伝えられ、
慶長年間、旧社地の国司より現社地へ遷座。
天正七年(1579)、鰐尾城主長江村地頭大廻三郎右衛門清長により再興。
明治になり、西長江の新宮神社、東長江の姫二所・日御碕・天森の各社を合祀した。
この新宮神社には、式内・垂水社が合祀されていたという説がある。
足日山(経塚山)の「タルヒ」と、垂水社の「タルミ」の音の類似がその理由。
また、垂水の水は、「氷」の誤りで、垂氷、すなわち「タルヒ」が本来の名称とも。
新宮神社に合祀されていた垂水社が、式内社であるかどうかはわからないが、
新宮神社に垂水社という神社が合祀されていたのは事実のようだ。
ちなみに合祀された垂水社の祭神は、罔象女命。
社殿の右手に磐があり、その上に社日と石祠が立っている。
境内社に詳細は不明。『神国島根』には、
八幡宮、若宮神社、厳島神社の名が載っている。
社頭 |
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参道の階段 ![]() | 上に神門 ![]() | 上から ![]() |
階段上の神門 ![]() | 境内から神門 ![]() |
境内の磐、上に社日と祠 ![]() | 社殿 ![]() |
本殿 |
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御神木? ![]() | 本殿 ![]() | 境内社 ![]() |
國司神社とその周辺
昔、いつの頃か近くの者が杵築大社の分霊
を受け、字國司に小祠を建てて祀っていた。後に現在地へそれを移したが、その年代は詳 らかでない。最古の棟札によれば、天正七年 (一五七九年)十月十日、鰐尾城主長江村地頭 大廻三郎右衛門清長が本願になり、国主大 明神を再興したとある。 祭神は国常立尊、大国主命、稲田姫命 の三柱である。明治四一〜四二年に 往時、垂水 社(式内社)を合祀してある西長江の新宮、東 長江の姫二所、日御碕、天森の四社がこれに 合祀された。 三大祭は四月三日の祈年祭、十月九日の例祭、 十一月二十八日の新嘗祭である。 神社の北方約一〇〇米に神宮寺があり、室町 後期といわれる奈良佛師、康秀法眼作の薬師 如来の像等が安置してあるが、起源は不明である。 この後の山を「要害山」と称し、その頂上は鰐 尾城に属する古塁跡と伝えられ、七畝ばかり 平地で、第二段に馬乗馬場という場所がある。 また黄金岩という金鶏伝説の大岩もある。 −社頭案内板より− 当社勧請年暦不詳。慶長年間に旧社地本国司より現今の社地へ奉遷し、 天正7年秋鹿鰐尾城主大廻三郎右衛門清長大に社殿を興し奉る。 以来御社頭顕著なる変革なく、慶長3年永禄2年天保2年の梁簡を存す。 明治5年村社に列せられ同41年神饌幣帛料供進の指定を受け、 明治42年4月23日西長江鎮座新宮神社東長江鎮座姫二所神社を始めて 天森神社日御埼神社を合祀した。中にも新宮神社は既に古昔垂水神社を合祀す。 右は式内垂水神社にして出雲風土記に在神祇官と挙げられ、 神階正六位上に坐し延喜の官社に列せられ足日山の南麓なる河畔に鎮座ありしを 河水漲溢して社地を冒し依て新宮神社に合祀し奉る。其の旧地は猶祭壇を存し例規の祭典を怠らず。 −『平成祭データ』− |
【 国司神社 國司神社 】
