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大年神社
おおとしじんじゃ
島根県江津市都野津町1554−1

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島根県江津市にある。
JR都野津駅の東500mほどの都野津町に鎮座。
住宅が密集している路地の奥、坂道の途中に境内入口があり、
周囲には寺社が点在している場所。
社前には、矢立神事が行われた矢立の松の跡がある。
鳥居をくぐり、参道の階段を上ると正面に拝殿。
拝殿の左側へまわると、意外に広い境内があり、
奥の一段高い場所に、境内社が並んでいる。
境内社の並びの右端が、入母屋造平入り造の本殿。
本殿の右側には雑草が茂っているが、緑の中に立つ本殿が印象的。
社伝によると、神亀二年六月、
伊勢神宮別宮より、都濃郷大年免に勧請。
正徳元年、現在地(郡山)へ遷座したものという。
式内社・大歳神社の論社の一つ。
大歳神社は、三代実録によると、貞観十三年四月三日に
従五位下の神階を授けられた古社。
本殿左の境内社は、
金刀比羅神社・大元神社・厳島神社など。
本殿の屋根には、三つ盛り亀甲に花菱の紋が付けられていた。
亀甲花菱は、石見国二宮である多鳩神社の神紋で、
当社は、その末社であったから、当社も使用しているのかもしれない。
境内前の「矢立の松跡」 ![]() | 境内入口 ![]() | 参道 ![]() |
境内 |
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拝殿 ![]() | 本殿 ![]() |
境内右側に境内社 |
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例祭 十一月一日 當神社は第四十五代聖武天皇の御代 神亀貮乙丑年六月朔日伊勢別宮 より都濃郷大年免に鎮座 正徳元卯年都山(現地)に遷座 せらる 清和天皇貞観十三年従五位上代 賜り國史現在社であります 當地の氏神様として産業の守護神 として崇敬せられています −参道石碑− 矢立の松
大年神社の年中行事の中で重大なものとして矢立の神事がある、
八月十五日矢立の松の神事、都野津大年神社前の松の根に的を立て
おきて矢を放つ式を行った、現に同所に矢立の松根あり、明治維新
まで行う、とある。(多鳩神社記)記
この矢立の行事は弘安年間蒙古軍の侵入を見張るために築かれた
大年免の砦を守る武将が戦勝を占うための行事といわれているが、
その後は農作の占いや五穀豊穣、天下泰平を祈願して正月九日に社
前から神主職によって矢を射られていたもので、江戸時代には神主
大崎(大前)家によっておこなわれた明和七年(一七七〇)の「万書上帳」
には矢立の松、毎年八月大前極人的射とある、当村の矢立の神事が
弘安の昔に創始されたものとすると当時の矢立の松は元の大年神社
付近にあったものと思われる。然し正徳元年(一七一一)現代の都ノ山
に遷座の際に矢立の松も位置を換え現在の松(二世松)に選定された
ものと思われる、全国的にも例が少なく石見では当社のみで貴重な神事です。 −社前案内− |
【 大年神社 (江津市都野津町) 】
