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都我利神社
つがりじんじゃ
島根県出雲市東林木町672
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式内社 出雲國出雲郡 都我利神社 |
出雲市西林木町、431号線沿いにある。
伊務神社(西の宮)に対し「東の宮」という
拝殿には以下の五つの額がかかっていた。
稲荷・熊野・都我利・伊佐波・天満宮。
社伝によると、白雉三年四月の勧請。
式内社・都我利神社に比定されている古社で、
出雲国風土記に「伊努社」の次に「同社」とある神社。
明治四年村社に列した。
祭神は、阿遅志貴高彦根命。
一説には、阿遅志貴高彦根命と阿遅志貴高彦根命の剣を祀るとある。
阿遅志貴高彦根命に容姿の似た神・天稚彦命の死に際し
天稚彦命に間違えられて怒り、この剣を抜いて喪屋を破壊したという。
その剣の名を、我理といい、都我利の社号となった。
昔は八王子とも称されていたが、
五男三女を祀るから。あるいは、祭神が大己貴命の第八御子であるから。
合祀の伊佐波神社は、式内社・伊佐波神社。
出雲国風土記には、都我利神社の「同社」の次に「同社」とある神社。
明治四十一年に当社に合祀されたらしい。
境内社は、稲荷神社と武頭天神社。
鳥居左に石碑 | 参道階段 | 鳥居右に社号標 |
階段上に神門 | 拝殿 |
拝殿に5枚の扁額 稲荷・熊野・都我利・伊佐波・天満宮 |
稲荷神社 | 本殿 | 武頭天神社 |
本殿の後ろに、中島治兵衛という人を祀った石碑がある。
江戸時代、寛文の頃、藩の検地において
稲作が不可能な沼地に課税されたため、村人が強訴。
その結果、多くの村人が捕縛された。
村役人であった中島治兵衛は、自分が首謀者であると名乗り出て
村人を助け、打ち首になったという。
村人は、氏神の境内に石造の廟を建て祀ったが
昭和五年に遷座され、跡に石碑を建てたという。
本殿後ろに石碑 | さらに中島治兵衛を祀る石碑 |
境内から出雲が一望できる。雨上がりの出雲は神々しい。
境内から出雲を望む |
風土記の伊努社四社、伊農社三社のうち
の一社に相当する。 中世の事情は明らかでないが、近世に至り、寶永二年 (一七〇五)の「神社書出帳控」を見ると、ここに「楯縫 郡東林木村都我利神社、神名帳在出雲郡都我利神社此社 也。一八王子大名神、味耜高彦根尊」とあつて、当時この 社は一に八王子大名神ともいはれてゐた様子が窺はれる。 −『式内社調査報告』− |