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忌部神社
いんべじんじゃ
島根県松江市東忌部町957

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旧郷社 |
松江市から24号線を南下、忌部町にある。小学校の隣。
参拝した時刻が登校時間と重なり、小学生と並んで歩いた。
事前に地図で確認できなかったが、道路から鳥居が見えたので、すぐにわかる。
平安朝に忌部神戸の鎮守各社を合祀して
二十二社総権現大宮三所大明神と称された神社。
明治合祀の際にも、式内社・久多美神社を含め、
周辺の多くの神社がここに合祀されている。
当地の総社で、忌部大宮とも称していたようだ。
ただし、式内社・久多美神社は大正十二年、古社地に再興されている。
忌部の神社らしく、神紋は亀甲に斎の字。
忌部は斎部とも書き、天太玉命を祖神とする氏族。
天児屋根命を祖とする中臣氏と同様に祭祀の中心だったが、
後に、権力は中臣氏に集中する。
斎部広成の著した『古語拾遺』を参考。
荒れた階段がつづく参道。小学生達はこの階段を使わず、
遠回りをしていたので、警戒しながら登る。
『平成祭データ』には、当社の境内/境外社として以下の名が記されている。
荒神社、社日社、久多美神社、石野宮神社、広畑神社、佐陀宮社、中垣明神、
金屋子神社、大谷明神社、大川端総荒神、熊山総荒神、比婆山神社、御崎神社、
沼荒神、天名荒神、中戸総荒神、天王社、大谷総荒神、千本荒神、下忌部総荒神、
一崎総荒神、須谷荒神、堀越荒神、堂廻総荒神、石本総荒神、厳島社、
金屋子社、若宮社、清水荒神、大向総荒神、金屋子社、大谷水神社、
千本水神社、足洗川荒神、小明荒神、白岩荒神。
境内にあるのか、境外にあるのか分からないが、荒神が多いのが面白い。
鳥居 ![]() | 神門 ![]() |
境内 |
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拝殿 ![]() | 拝殿 ![]() |
社日 ![]() | 本殿と境内社 ![]() | 大松社 ![]() |
稲荷・若宮 ![]() | 鷺社など ![]() |
忌部神社御由緒 御祭神 天太玉命 天照大御神 天児屋根命 外二十二神 御例祭日 十月一九日 當社は明治末年まで大宮神社と称し、祭祀の祖 神天太玉命を主祭神とし、天照大御神は御霊現に より出雲國日御崎神社より、天児屋根命は榮国利 民のため大和國春日大社より勧請し奉斎せり。 平安朝に忌部神戸内鎮座の二十二社を合祀し、 二十二社総権現、総社大宮大明神と称し、忌部神 戸の総社として神祇令により神戸内の官物を供進 し其官祭を享け給へり。 奈良町以来朝廷の御崇敬を初め累代國守の崇敬 篤く、社領寄進、社殿造営、禁制、社参代参あり 藩主松平綱近は御供田一反九畝三歩を寄進せり。 明治四十四年其筋の指示に基き一村一社として 降保親睦の實行を期するため、式内村社久多美神 社(御祭神 大穴穿遲神外三神)無格社山智神社 (御祭神 事解男神外一神)無格社七次神社(御 祭神 國常立尊外十四神)無格社素鵞神社(御祭 神 素盞鳴命)を合祀して社名を忌部神社と改称 し、神域の擴張、社殿の整備を行い、昭和六年十 月郷社に昇格。仝五十年七月島根県神社庁特別神 社に指定される。 −境内由緒より− |
