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大祭天石門彦神社
おおまつりあめのいわとひこじんじゃ
島根県浜田市相生町1571

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島根県浜田市にある。
JR浜田駅の南東2Kmほどの相生町に鎮座。
浜田川のそばにある。
ちょうど、9号線バイパスと186号線が高架となってクロスするポイントの南。
当社の前で、186号線がカーブしており、道路との境にガードの塀があるため、
普通なら、道路を渡って撮影する、境内全景が撮影できなかった。
境内左手に駐車場があり、鳥居の正面が社殿。
社殿は三つ子山の麓にあり、巨石の前にあるが、
草木が茂って、岩の全体像は良く見えない。
社殿の右手が広い空き地で、奥に赤い鳥居。
鳥居の後方に、烏帽子岩がある。
烏帽子岩も祭祀の対象になっているようだ。
創祀年代は不詳。
社伝によると、阿波忌部氏の一族が当地に祀った神社。
一説に、浜田市の西にある大麻山神社と同時期に祀られたとある。
祭神は、天石門別命(手力男命)。
配祀の建御名方命は、承和二年(835)十二月二十五日に信濃から勧請された神。
社殿の後方に巨石があり、他に烏帽子岩があって、
石信仰が本来の姿だろう。
その後、諏訪神の勧請により、
諏訪的性格を帯びた神社となったらしい。
当社の特殊神事に、贄狩祭というものがあり、
昔は、山狩りをして鹿を捕らえて供物にしていたようだ。
現在でも、猪の肉を献じるという。
境内の左手には、境内社である足王神社がある。
猿田彦命を祭神とする神社で、旅の神。
社殿には多くの草鞋が奉納されていた。
神紋に関して。
『式内社調査報告』には、亀甲に柏とあるが、
『神国島根』には、亀甲のみ。『神社名鑑』には記載がない。
社殿には、亀甲の中に五枚葉の立ち木の紋が付いていたが、
僕には梶の葉に見える。
梶は、阿波の忌部氏の紋で、当社の創建を物語っている。
また、梶は諏訪神の紋でもあり、諏訪社を配祀しているためかも。
あるいは、諏訪と忌部は関連する、ということかも。
とにかく、柏では無いと思うのだが。
境内入口の鳥居 ![]() | 鳥居から社殿 ![]() | 社殿から鳥居 ![]() |
社殿 ![]() | 社殿の神紋 ![]() |
社殿 |
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本殿 ![]() | 社殿 ![]() |
烏帽子岩 |
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境内右手に足王神社 ![]() | 社殿の大草鞋 ![]() |
足王神社 ![]() | 本殿にも草鞋が奉納されている ![]() |
石見の国三宮 大祭天石門彦神社
御鎮座御由緒
石見の三宮
三宮で知られている浜田市黒川の大祭天石門彦神社は
あめのいわと主祭神手力男命、配祀神建御名方命
二神を祭祀する社で浜田川の河畔三つ子山の麓にある
神社でこの山には高さ四間幅六間余りの大きな岩石
があって、本殿はその前に建っている。又本殿の西側には烏帽子岩がある。 主祭日
特殊神事
贄狩祭往古十二月一日から翌年一月二十五日迄山狩をなし
獲物の鹿を供え村内を始め近郷四十ヶ村の平隠繁栄を
祈願した。ちなみに鹿足郡は鹿の足を供え美濃郡は「みの」を
献した慣習からその地名が生じたと伝えられている。その後氏子十ヶ村及び原井、浅井、長沢、両黒川、後野、小笹、伊木、七条、 細谷、旧浜田以東の区域で御狩を行っていたと伝えられている。 現在は一月二十五日を祭日とし、さざえの酢物、くわ形餅、 あお木の箸、かづらの輪にしたもの神饌に合わせ猪の肉を 供えて祭典を行い祝詞の次に万才楽を奏上する慣習がある。 −境内案内板より− |
