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智伊神社
ちいじんじゃ
島根県出雲市知井宮町1245

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式内社 出雲國神門郡 智伊神社 |
出雲市知井宮町にある。
西出雲駅の西500mほどの道のそばの丘の上。
鳥居をくぐって、階段を上ると神門。その奥が境内。
境内の右手に丘を上る小道があり、
その奥には、よくわからない石碑や石祠などが祀られていた。
創立年代は不詳。
式内社・智伊神社に比定されている古社。
『出雲風土記』には「知乃社」とある神社。
「ちのやしろ」と読むのだろうか。
「ち」の音がのびて、「ちい」となったのかもしれない。
延喜式では「智伊」と書かれ、現在地名は「知井宮」。
「ち」とは精霊をあらわすという説があり、
当社も、自然の神秘的な力を祀ったものかもしれない。
つまり、「ちのみや」とは「精霊の宮」ということか。
古来、出雲大社と関連があったようで、
大社の神宝保管の役をつとめ、大社遷宮の時は古在が下附されていたようだ。
当社は往古、字東原の多門院に隣接する地にあり、
古社地として、多門院境内の築山に荒神社が祀られている。
境内社の比布智神社があり、式内社・同社坐神魂子角魂神社とされている。
この「同社坐」とは、延喜式神名帳の記載順では、
その前に記されている、式内社・比布智神社のこと。
比布智神社と同域に祀られていた神魂子角魂神社という意味。
比布智神社本体は、江戸時代に保知石から下古志へ遷り、
残っていた神魂子角魂神社は、明治になって智伊神社境内へ遷って、
境内社・比布智神社となったという。
埴安姫神は、明治40年、当社へ合祀されたもの。
神紋は、「弓」の字を用いているのだが、理由はわからない。
社頭 |
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社号標 ![]() | 参道階段 ![]() | 灯篭の神紋 ![]() |
神門 ![]() | 拝殿 ![]() |
本殿 ![]() | 比布智神社 ![]() |
本殿 ![]() | 金刀比羅社・春日社 ![]() | 大城稲荷社 ![]() |
確認忘れ ![]() | 稲荷社 ![]() | 確認忘れ ![]() |
謎の石碑 ![]() | 確認忘れ ![]() | 御神木 ![]() |
智伊神社
−境内案内板− 延喜式神名帳に智伊神社出雲風土記に 知乃社創立年間不詳なり。三代実録清和天皇貞観十 年九月二十一日辛亥出雲國正六位智伊神社授従五 位下同十三年十一月十日壬午出雲国従五位下智伊 神社授従五位上とあり。雲陽誌に依れば祭神 高皇産霊神也元禄年中本社炎上して縁起神書悉紛失、創立 年月不詳慶長十七年の棟札あり。古者年中七度の神 事あり是を七祭と云う今は二季の祭祀なり。古六月 十五日には神行田植獅子舞花馬等の神事ありたり。 本社傍に神石あり三尺四方に神宝を納む修造の時 と雖も之を動かす事不能。社後に影向石弓懸の松飛 礫石あり由来不詳。元現社東北八町字東原にあり。 宝暦五年現社地に移転す。往昔出雲大社と如何な る由縁ありしや大社造営の節は旧社の拝字を智伊 に社司に下玉い社殿造営せりと、國主堀尾家に至 迄然りと云う。寛文年中大社造営以後この事なし。 −『神国島根』− |
