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天津神社
あまつじんじゃ
島根県邑智郡美郷町吾郷

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式内社 石見國邑智郡 天津神社 |
島根県美郷町にある。
JR三江線・石見簗瀬駅の北東1Kmほどの吾郷に鎮座。
駅から江の川を北に越え、川沿いの道から、400mほどのぼった場所。
道路横に、南向きの境内がある。
鳥居をくぐると、正面にどっしりとした拝殿。
後方に背の高い本殿があり、
本殿左右に境内社が並んでいる。
『式内社調査報告』や『神国島根』によると、
境内社は、祠としては4つあるらしいが、『平成祭データ』には5つ。
境外にあるのかもしれないが、確認はしていない。
古来、本座大明神と称された神社で、
石見三宮とも云われていた。
創祀年代は不詳だが、
一説には、白鳳四年四月の勧請。
貞観九年六月正一位を授けられた古社。
往古は、三之鳥居まである大社で、
当時の鳥居沓石が畑の中に残っているらしい。
当社の北方にある奥山に天津城という場所があり、
その地は、神止とも呼ばれているらしいが、
当社祭神が、天降った場所であるという。
本殿左右にある境内社は、『神国島根』によると、
右側が、
白山神社(伊弉諾尊)に以下の神社が合殿されたもの。
西宮神社(蛭兒命)、八王子神社(稻田姫命)、皮付神社(少彦名命)、
大将軍神社(武内宿禰)、土公神社(奧津日子神 奧津比賣神)。
左側は、
住吉神社(底筒男命 中筒男命 表筒男命)に合殿されたもの。
八幡武神社(誉田別命)、信田神社(大己貴命)、皮張神社(事代主命)、
熊野神社(伊弉諾尊 素盞嗚尊)、金峰神社(大山津見命)。
さらに、龍田神社(科津彦神 科津姫神 宇我魂神)、東照宮(徳川家康)、
伊勢神社(天照皇大神 八重山神社分靈)が『平成祭データ』に記されていたが、
どれがどの神社かは未確認。
神紋は、三つ蔓柏の紋。これは確認できた。
社頭 |
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鳥居 ![]() | 社殿 ![]() |
本殿 ![]() | 本殿 ![]() |
本殿左の境内社 ![]() | 本殿右の境内社 ![]() |
境内社? ![]() | 境内社 ![]() | 境内社? ![]() |
天津神社縁起
当神社は古来石見三宮として尊祟された延喜式神明帳に登載されている神社であって、天武天皇(第40代)御宇 白鳳乙亥4暦(西暦675)9月吾郷の地天津越の麓二尾山に創立、その後(年暦不祥)現今の地に移転す。 清和天皇(第50代)貞観九亥(西暦867)6月には『正1位本座大明神』の御神號を勅許せられ、後柏原天皇(第103代)大永5天乙酉(西暦1525)6月には、地頭三善元親、清繁、元定の3人が勅額を受て奉納している。 国の『重要無形民俗文化財』である大元神楽の記録で最古のものは、当神社に保管されている後水尾天皇(第107代)元和元乙夘(西暦1615)8月記載の「大元舞熟書之事」である。 往昔は、宏壯森厳にして鳥居も3基あったという。今尚昔の鳥居の踏石が畑の中に残ってていると言われている。 吾郷村、乙原村、志君村、簗瀬村、明塚村、野井村、高山村の7カ村の産土神あったが、明治7年郷社に列せられ、邑智105カ社村の宗社として吾郷村天津神社と矢上村諏訪神社の2社が定められ、53カ村(現在の川本町、邑智町、大和村、大田市祖式、赤来町谷)が当神社に所属した。 御祭礼には、流鏑馬の神事、雄建び、シャギリの行事があったが、現在は子供達の奏でるシャギリの行事以外は行われていない。 −『平成祭データ』− |
