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神根神社
こうねじんじゃ
岡山県備前市吉永町神根本1147
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式内社 備前國和氣郡 神根神社 |
岡山県吉永町神根本にある。
JR吉永駅の北東4Kmの山麓に鎮座。
八塔寺川に沿って、南北に走る道路の西奥にある。
2Km西へ行くと神道山という山がある。
岡山県だが、もう2Kmほど東へ行くと兵庫県なのだ。
鎮座地の「神根本」は、「コウネホン」と読むらしい。
当社は、もと現社地の500m東の、「古美山」に鎮座していたが、
建久年中に、現在地に鎮座したという。
祭神は、開化天皇の皇子、あるいは孫などとよばれ、
大根王、神大根王などとされていたが、
文久元年、神根神社祠官・北川宗國の説により
木花開耶姫命が、主流となった。
ところで、記紀には大根王は記されていない。
大根王は、神大根王の誤記か、神大根王の父・日子坐王のことだろうか。
仲哀天皇以下の祭神に関しては、
明治43年に合祀された周辺神社の祭神。
鳥居の奥に神門があり、その後ろに階段。
階段上は、あまり広くはないが、拝殿・本殿がある。
本殿の右手には、いくつかの境内社も並んでいる。
一番大きな境内社が天神社だろうか。
奥の祠の中に、小さな牛の像が沢山奉納されている。
本殿の屋根には菊紋が付けられていたが、
本殿周囲の瑞垣には、菱形の菊紋と桐紋が刻印されている。
社頭 |
鳥居 | 神門 |
階段上に社殿 | 社殿 |
右手に境内社 |
小さな牛が沢山 |
本殿 | 本殿 | 下から境内 |
神根神社は三代實録の貞観七年(八六五)七月
二十六日の項に「備前國正六位上神根神(中略)等並従五
位下」とあるのが初見である。『備前國神名帳』諸本及ぴ
『國内神名位階記』山本本には前記のとほり「従二位神根
大明神」「正二位神根大明神」とあり、『和気郡誌』には
「天正十八年十一月備前宇喜多中納言秀家卿家臣長船紀伊
守検地の節、數度の神位記、神田共悉く取り上ると云傅
へ……」とある。 當社は備前國の三宮とされ、寛文十年(一六七○)には岡 山藩主池田光政が和気郡奉行渡邊助左衛門に命じて社殿を 改築し、社領二石九斗及び神根本村字鯉の河原の新田三反 歩を寄進したといはれる。字鯉の河原の新田は享保十三年 (一七二八)九月の洪水によつて流失し、そのため文久元 年(一八六一)になつて祠官北川宗國によつて再興がはか られてゐる。 明治五年郷社に列し、同四十年一月二十七日神饌幣帛料 供進神社に指定された。明治四十三年五月には神根村字板 屋の御崎神社、字山津田の今伊勢神社、字門出の八幡神 社、字南谷の素盞嗚神社、字和意谷の大山祇神社、字樫村 の熊野神社を合祀してゐる。 『備前國式内書上考録』によると、社頭に櫻の古木かあ り、これを神木と云ひ傅へてをり、そこが元の社殿のあつた 跡であるとしてゐる。また、そこから几そ二町ばかり隔て たところに宇鳥の木といふところがあり、元の烏居の跡と いひ、同所の「射場の元」といふ田地は祭典の際に「流鏑 馬の神事」が行はれてゐた場所であると傳へてゐる。 −『式内社調査報告』− |
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