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倭文神社
しとりじんじゃ
鳥取県倉吉市志津209
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式内社 伯耆國久米郡 倭文神社 |
倉吉市の中心から南西に8Kmほど。
50号線と288号線に挟まれた山間の地にある。
あまり、うまく説明できないのだ。
実は、当社を探して道に迷い、地元の方に車で先導していただいた。
車が1台やっと通れるような集落内の道を何度か曲がり、
いきなり鳥居の前に到着してしまった。
ということで、ここへ至る道が良くわからない。
帰りも、「ここをまっすぐ」という言葉に従って、まっすぐ戻っただけ。
道は狭いのだが、境内はかなりの広さがある。
伯耆国一宮と同じ社名だが、ここは三宮にあたる。
「倭文」は通常「シトリ」と読むが、
「シズリ」「シヅ」と読む場合もあり、当地は志津という地名。
祭神の 武葉槌神 あるいは 天羽雷命 を倭文神とするが、
明治以前は、武甕槌神であった。
明治以降、本来の祭神に戻し、倭文神を祭神に追加した時点で、
武甕槌神が、「間違いだった」ということで削除されたらしい。
しかし、経津主神だけ残るのも変な感じだ。
『当社縁起』には、往時、この一帯が織物が盛んな地で、
機織の祖先武羽槌神を祀ったとある。
当社までの道は、集落内の狭い道なのだが、
境内は予想以上に広く、清涼に保たれていた。
立地条件のためか、近隣の信仰が篤いのか、「よく祀られている」。
本殿は春日造変態で、昭和初期の新築。
その時期に、郷社から県社に昇格した。
50号線側に鳥居があるが、そこから2Km近く。
50号線にある鳥居 |
境内入口 | 神門 |
境内 |
拝殿 | 境内社・荒神社 |
本殿 |
倭文神社 (三の宮さま) 倉吉市志津209 山陰線倉吉駅八粁 祭神 経津主神・武羽槌神・下照姫神 例祭 四月一九日 神紋 丸に社号 本殿 春日造 六坪 境内 六七七五坪 末社 一社 氏子 一五〇戸 由緒沿革 文徳天皇斉衡三年従五位上を授けられ た。延喜の制小社に列した。鎮座地志津は社 号の倭文と同一である。往古より武門・武将 の崇敬が厚く多くの社領を有した。明治四年 郷社に列し、昭和一七年県社に昇格した。 −『全国神社名鑑』− |
【 倭文神社 (倉吉) 】